私は長い時間、自由に生きているつもりでいながら、
周りの世界に合わせてました。
家族のため、会社のため、友人のため。
誰かにそうしなさいと言われたわけではないけれど、
自分の母親も、祖母も叔母たちもそうしてきたのを見てきたから、
当たり前だと無意識に信じていたし、
それで大人たちから評価もしてもらえたから。
でもその当たり前の日々に私の幸せはなく、いつの間にか何かの奴隷のように感じる毎日が続くだけ。
そこにあるのは、昨日、今日、明日と同じスケジュールで進み、
自分でコントロールできる「安定した世界」が続いていて、
楽しくはないけれど、大人の生活ってこうなんだろうと
言い聞かせてもいました。
「もっと自由に生きたい」
「もっと違う景色が見たい」
と願いながらも、
「変化することはものすごく怖いこと」だから、
目を閉じるように気持ちも内側にギュッと閉じ込めました。
自分を追い込むたびに、『私はちゃんとやっている!』といばるような気持ちがあって、
なぜか、ちゃんとやれない人の行動をコントロールしたくなる自分が生まれ、それがさらにイライラを募らせました。
そんな時、何かひらめきがあり、喜んでそれに取り組んでみても、
すぐにトラブルや問題が生じて、時間やお金がかかると分かると、
いつの間にか「やらなくていい」理由しか見えなくなり、諦めていく。
だってしかたないじゃない。
でも私の本音は、心の奥深くにさらに押し込まれ、
今は◯◯をやることが大切だから!と自分を説得する。
これを繰り返していると、なぜか問題ばかりが目につくようになり、
自分で自分の人生を低く見積もるようになり、
人と目も合わせられなくなりました。
私は飽きっぽい。
何をやっても続かない。
頑張る勇気がない。
自由を失い、小さな檻に入ったのは、
自分の意思だったことに、薄々気づいた頃、
ダメな自分を見ないために、自分以外の誰かを応援しようとし始めました。
その度に感じる違和感が、澱のようにどんどん溜まっていく。
こんな私が、友人、恋人、大切にしたい人たちの伸びしろを、
どれだけ信じてあげることができるんだろう?
その声に押され、初めて私がその小さな檻から出てみることにしました。
こんなことしたら恥ずかしいとか、人からどう思われるのか、
常識外れなんじゃないかとか、
色々考えては、檻の中と外を行き来しながら、
そのことをノートに書き始めました。
誰も見てないし、誰もダメ出しをしない。
何を書いても自由。
自分に向き合うのは、拍子抜けするほど簡単なことでした。
ちっぽけな私の伸びしろが、ゆっくり広がったのは、
安定していない、この世界こそが自由で豊かだからでした。
つづく。