自分と仲良しになった方がいい理由③

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①と②を書いてから、ちょっと時間が経ってしまいました。
自分でも何を書いたか忘れちゃったので、w
よろしければ、こちらもどーぞ。





私たちが生まれた時、もちろん宿命やらDNAなど、すでにある個性を持って生まれてきますが、
その後に関しては、その場所の環境とそれについて自分がどう意識したのかで、大きく変化していきます。

日本に生まれたとしても、どの時代なのか、両親はどんな人なのか、周りの大人たちはどんな考え方をしているのか、などなどで、その後しばらくは影響されますよね。

とにかく私たちは、生まれ落ちた地上で生き抜かねばなりません!

そのために多少不本意であっても、親や先生、大人の言う事に耳を傾け、地上のルールだけでなく、
私を取り巻く環境の持つ見えないルールも身につけながら、
我が身を守ろうとしたり、自分の陣地を確保しようとします。
(ぜーぜー。💦)


でもある日、ポカンとすることがある。
泣きたくなる時がある。
なぜここに辿りついたのか、自分の手で得たものを眺めて、何でこんなもののために?と驚愕することもある。

あれ?
人生って、生きるって、こういう事だったっけ?


一度立ち止まって考えようとするのに、また違った方向に行ってしまったりする。しかも闇雲に走り出す。

闘ったり、ひよったり、死んだフリもした中で、
例えばこれは良いとか悪いとか、自分自身をジャッジして、
つい自分にダメ出ししたり、バツをつけ始める。

そうして結果に結び付かなかった努力から、何も得ようとせず、
私は何をやってもダメなんだ、ということにして我が身を慰める。

自己憐憫にしろ、ダメダメ人間確定!にしろ、
いつも他人や外の世界からの視線で自分を決定しているので、
当然、内側の世界に呼応して、世界からの判断も平等に厳しくなる⁉️

すると、ますます他人の顔色を伺い、人のために、家族のために、周りの人のためにと頑張る。
頑張ってきたのに、何なのこの結果は!
もうどうしていいか分からない!

という自己犠牲という名のもとに、死んだように生きた結果、
ついに強制終了が起こる。

疲れ果て、とにかくもう何もかもイヤになって、
その場でうずくまっていた時に、
私がもう一度出会ったのは「東洋学」でした。

ずっと学んできたんです、生き方を。
分かってはいました、頭では。

つまるところ、
私がわたしと仲良しになる事が最初で、しかも最善の方法だったこと。

なぜなら私が幸せであることが、私の魂と一つになり、
私を生きることだから。

菜の花は、菜の花に。
スズメは、スズメになるように、
私はわたしになる。
ごく当たり前の自然の摂理

スズメは自分を押し殺して、別の存在になろうとはしない。
菜の花は菜の花で、自由を謳歌している。

私はどう?
私はわたしに笑顔を向けている?
それが、私が再び歩き始めた最初の質問でした。

どんな大人になりたかったんだったっけ?
自分にどんな体験をさせたかったんだっけ? 
自由に生きること、この人生を楽しむと決めてこなかったっけ?
でもその前に、私はわたしを愛してる?

そうした問いかけをし続けたところで気づいたのは、
驚くことに、すぐ忘れるのよ、これがっ!

だからね、私は洗面台の鏡に、笑顔マークと一緒に貼ってあるの。

「大好き!」って。

その言葉を見て、口角を上げて、もう一度思い出す。

私はわたしに、今日、何を体験させてあげる?

毎日そこから始めています。
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