私の父は、昭和十八年生まれ。
祖父から受け継いだ自営業を守りながら、
家族のために黙々と働いてきた人です。
人前で声を荒げることは、
ほとんどありません。
けれど、輪の中にうまく入れなかったとき、
自分が疎外されたように感じたとき、
その不器用な寂しさが顔に出てしまう人です。
不機嫌というより、きっと孤独なのだと思います。
でも、その孤独は、うまく言葉にならない。
だから、黙り込み、根に持ち、
やがて少し強い口調になって、母に向かってしまう。
そんな父を見るのは、つらい…つらいのです。
だから私は、つい父の機嫌を取りにいきます。
何が食べたいかな。
どこへ行きたいかな。
今、どんな気持ちでいるのかな。
きっとこう思っているんだろうな、と…
いろんな角度から父を深掘りする。
それでも、どうにもならない日もあります。
父は強い口調になり、その刃は母に向く。
母はそれを静かになだめる。
私は二人とも大事です。
どちらの味方にもなりたい。
どちらも傷ついてほしくない。
だからある日、父に言いました。
「母さんに言わないで。
文句、言いたいことがあるなら私に言って。
残りの人生、いい人でいてほしい。」
それは私の願いでした。
責める気持ちではなく、祈りに近い言葉。
二人とも、もう年を重ねています。
いつかくる最期のとき、交わす言葉が、
やわらかなものであってほしい。
それを強く願うのは、私の中に、
消えない記憶があるからです。
自ら命を絶った夫に、私が最後にかけた言葉。
あの一言が、最期の一手になってしまったのかもしれない。
その思いは、今も私の胸に残っています。
悔いても悔いても、悔やみきれない。
だからこそ、もう二度と同じ後悔をしたくない。
怒りや焦りに任せて放った言葉が、
取り返しのつかない終わりにならないように。
だから私は、普段から心を整えていたいと思うのです。
いつ何時も、揺れない強さを持ちたい。
けれど、固くなるのではなく、しなやかに優しくありたい。
誰かの不機嫌の奥にある寂しさを見抜けるように。
自分の不安に飲み込まれないように。
最後に残る言葉が、
「ありがとう」や「大丈夫」でありますように。
そのために今日も、私は自分の心を静かに見つめています。