【大阪を代表するビジネス街!】淀屋橋駅(OsakaMetro御堂筋線など/大阪府大阪市中央区)

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私は大阪府在住の鉄道・地理マニアで、普段から鉄道路線に乗って、様々な駅や街を訪れています。

この記事では、淀屋橋駅(大阪府大阪市中央区)を紹介します。

淀屋橋駅に乗り入れる鉄道路線は以下の通りです。
・Osaka Metro御堂筋線
・京阪本線

※写真や文章は準備でき次第、更新します!

【淀屋橋駅の概要】オフィス街へのアクセス駅!京阪電車のターミナル駅。

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淀屋橋駅は大阪府大阪市中央区に位置する駅です。

以下の鉄道路線が乗り入れます。
・Osaka Metro御堂筋線
・京阪本線

京阪電車の大阪側のターミナル駅で、枚方市・(京都)出町柳方面の電車はこの駅が始発となります。

Osaka Metro御堂筋線で梅田から1駅。梅田・新大阪方面、心斎橋・難波・天王寺方面へ乗り換えなしで移動できます。梅田~淀屋橋間は御堂筋線の最混雑区間です。
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淀屋橋駅周辺は大阪市中心業務地区の一部であり、大阪市役所の最寄り駅であるほか、日本銀行・三井住友銀行・日本生命保険・塩野義製薬など、有名企業の本店や支店が多く所在しており、御堂筋沿いを中心に洗練されたデザインの高層ビルが多く建ち並びます。

【駅構内(Osaka Metro)】梅田まで1駅!シャンデリアとアーチ型屋根が特徴のホーム!

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Osaka Metro淀屋橋駅は北改札と南改札が設置されています。京阪電車・大阪市役所などへは北改札が便利です。
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北改札近くにはドトールコーヒー・コクミンドラッグなどの店舗があります。

※ホームの写真準備中

【駅構内(京阪)】大阪側のターミナル駅!1面3線の独特な構造。

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Osaka Metro御堂筋線・御堂筋・大阪市役所などへは西改札口の利用が便利です。
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西改札口近くにはお菓子店や銀行ATMなどがある。
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京阪特急といえばプレミアムカー!乗車券台に追加して、400円または500円のプレミアムカー券を購入すると、座席指定の豪華な座席で移動できます!

【淀屋橋・船場の歴史】「天下の台所」と呼ばれた船場の北西。御堂筋の拡幅と地下鉄開通で大阪を代表するオフィス街へ!

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↑現在の船場エリアの標準地図(出典:国土地理院ウェブサイト)
土佐堀川(北)・西横堀川(西/現在の阪神高速1号線北行き)・長堀川(南/現在の長堀通)・東横堀川(東)に囲まれた内側のエリアが「船場」と呼ばれていた。
1583年に豊臣秀吉が大坂城を築城し、大坂に城下町が形成されました。1598年に大坂城三の丸を造営する際に渡辺・玉造は城内に取り込まれることになり、これらの地に住んでいた町人の移転先として船場の開発が開始しました。

大坂には大勢の武士が暮らしており、武器・食料・生活用品などが必要でした。堺・平野・伏見などの商人が船場に移住したほか、諸藩の蔵屋敷が船場周辺に集中。船場には大阪湾や淀川に通じる様々な川が張り巡らされており交通の便も良かったことから、船場には人や物が集まり「天下の台所」と呼ばれるようになりました。
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↑1940年代の船場エリアの航空写真(出典:国土地理院ウェブサイト)

「船場」は、概ね現在の淀屋橋駅・北浜駅・長堀橋駅・心斎橋駅に囲まれた内側の地域で、淀屋橋駅は船場の北西に位置。土佐堀川に架かる淀屋橋を渡って北へ進むと中之島です。
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船場は人や物が集まる場所だったため、船場には多くの豪商が誕生しました。
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「淀屋橋」という橋梁名や地域名は、江戸時代の豪商である「淀屋」に由来しています。材木商であった(初代淀屋)淀屋常安は1615年より中之島の開発を開始。中之島には諸藩の蔵屋敷が集まっており、全国各地からの物資が集まる場所でした。

江戸時代にお米は年貢として諸藩を通じて幕府に納められていました仲買人によって米の価格が不当に決められていたため、(2代目淀屋)淀屋言當は中之島に米市を設置し、米価の安定化に貢献しました。淀屋の屋敷から中之島の米市への利便のために架けられた橋が「淀屋橋」で、現在の淀屋橋南西あたりに淀屋の屋敷があったそうです。

淀屋橋駅の西側には住友グループのオフィスが集まる「住友村」と呼ばれる地域があります。住友グループは京都で開いた「富士屋」を前身とし、その後大坂に拠点を移し「泉屋」となります。大坂移転当初の拠点は島之内でしたが、その後船場に移転。住友家は鉱業と金融業で発展し、住友財閥を築き上げます。

1920年代から1930年代にかけて御堂筋が拡幅。1921年(大正10年)には大阪市役所が淀屋橋北詰近くの中之島に移転し、土佐堀川に架かる橋の1つであった淀屋橋は、大阪市を代表する通りである御堂筋の橋として重要性が増していきます。
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↑1940年代の淀屋橋駅周辺の航空写真(出典:国土地理院ウェブサイト)
西横堀川が流れている。
1933年(昭和8年)に地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅が開業、1963年(昭和38年)に京阪本線の淀屋橋駅が開業すると、「淀屋橋」は淀屋橋駅周辺の地域名としても使用されるようになります。
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↑1960年代の淀屋橋駅周辺の航空写真(出典:国土地理院ウェブサイト)
西横堀川は埋め立てられている。
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↑1970年代の淀屋橋駅周辺の航空写真(出典:国土地理院ウェブサイト)
西横堀川跡地に阪神高速1号環状線(北行き)、東横堀川の上に阪神高速1号線(南行き)が開通。
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↑2017年の淀屋橋駅周辺の航空写真(出典:国土地理院ウェブサイト)

現在の淀屋橋駅周辺は御堂筋沿いを中心にオフィスビルが多く建ち並び、大阪市の中心業務地区の一部を担っています。

【駅周辺】御堂筋と土佐堀通が交差する淀屋橋交差点。淀屋橋を渡ると大阪市役所

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淀屋橋駅の上に位置する淀屋橋交差点。御堂筋(南北方向)と土佐堀通(東西方向)が交差します。
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御堂筋を北へ進み、淀屋橋を渡ると中之島です。
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淀屋橋交差点より南の御堂筋は、オフィスビルが多く建ち並び、かっこよくてオシャレな雰囲気となります。

【江戸時代の豪商】淀屋の碑

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江戸時代の豪商である「淀屋」は米市を中心とする事業を行っていました。現在の淀屋橋南西に屋敷を構えており、淀屋の屋敷があったとされている場所に「淀屋の碑」があります。
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江戸時代にお米は年貢として諸藩を通じて幕府に納められていました。年貢として納められたお米は米問屋を通じて現金化していましたが、仲買人によって米の価格が不当に決められていました。

淀屋は全国の米相場の基準となる米市を中之島に設置。米市の取引きではお米を直接扱う現物取引ではなく、米の売買が成立した証明となる手形を使ってお米と交換するという、先物取引の起源です。

その後、米市は中之島堂島に移転し、世界における先物取引市場の先駆けである堂島米市場となりました。

【淀屋が中之島の米市へ向かうために架橋】淀屋橋

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現在の淀屋橋南西に屋敷を構えていた江戸時代の豪商の淀屋は、中之島に米市を設置。

淀屋橋は、淀屋が屋敷から中之島の米市へ向かう際の利便のために架けられました。
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現在の淀屋橋は1935年(昭和10年)に完成した鉄筋コンクリート造りのアーチ橋です。淀屋橋駅が設置されたことにより、「淀屋橋」の名前は淀屋橋駅周辺の地域名としても定着しています。

【現在は4代目庁舎】大阪市役所

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大阪市役所は、淀屋橋駅から淀屋橋を渡って北に進んだ御堂筋の東側に位置します。
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現在は4代目庁舎で、1986年に完成しました。

【1903年完成の銀行建築】日本銀行大阪支店旧館

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日本銀行大阪支店旧館は、淀屋橋駅から淀屋橋を渡って北に進んだ御堂筋の西側に位置しています。
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旧館は1903年(明治36年)に完成した歴史的な銀行建築で、東京駅丸の内駅舎などを手掛けた辰野金吾による設計です。

現在の業務は旧館の西に隣接する新館で行われています。

【住友グループのオフィスビルが建ち並ぶ】住友村

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↑住友ビルディング

住友グループは住友政友が京都で開いた「富士屋」を前身とし、その後大坂に拠点を移し「泉屋」の商号を使うようになります。「南蛮吹き」と呼ばれる銅の精錬技術を開発。住友家は銅を世界各国に輸出していたほか、阿仁銅山(秋田県)や別子銅山(愛媛県)の開発を行い、日本一の銅鉱業者として発展しました。銅に関する事業で得た利益をもとに金融業を行うようにもなり、住友財閥を築き上げていきます。
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↑三井住友銀行大阪本店ビル

住友財閥の本部である住友本社は終戦まで淀屋橋の南東辺りに置かれていました。戦後の財閥解体後も住友グループ企業の本社・本店がこの場所に拠点を置いています。住友ビルディング・三井住友銀行大阪本店ビルなど住友グループのオフィスビルが建ち並ぶことから「住友村」と呼ばれてます。

【駅周辺/南】御堂筋

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大阪市を代表する南北方向の幹線道路である御堂筋。堺筋に代わる新たな大阪市を代表する大通りとして、1930年代に御堂筋の拡幅が行われました。
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(左)三井住友海上大阪淀屋橋ビル・淀屋橋三井ビルディング。低層階に商業施設「淀屋橋odona」がある。

(右)淀屋橋駅西地区第一種市街地再開発事業(2025年12月竣工予定)
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(左)淀屋橋ステーションワン。2025年6月に商業ゾーンが開業予定。(左の高いビル)

(右)日本生命保険本店
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御堂筋沿いの建物は1995年までは高さ規制があったため、古めのビルは高さ31mでそろっていることが特徴です。
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三菱UFJ銀行大阪ビル。
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御堂筋は南行きの一方通行。側道を含めて6車線あります!
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(左)アーバンネット御堂筋ビル

(右)オービック御堂筋ビル
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高さがそろっていて、気持ちいい。

【国の登録有形文化財/レトロビル】大阪瓦斯ビルヂング(大阪ガス本社)

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大阪瓦斯(おおさかがす)ビルヂングは1933年(昭和8年)竣工で「ガスビル」とも呼ばれています。1945年(昭和20年)の大阪大空襲の際には被害を免れており、国の登録有形文化財に指定。大阪瓦斯の本社が入居しています。

【国の登録有形文化財/レトロビル】芝川ビルディング

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1927年(昭和2年)竣工の芝川ビルディングは国の登録有形文化財に指定されています。芝川家は江戸時代は貿易商、明治時代は不動産業を営んでいた一族で、戦前までは芝蘭社家政学園として利用されていた建物です。

【船場の御霊さん】御霊神社

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御霊(ごりょう)神社は淀屋橋駅から南西に徒歩約5分の場所に位置します。

850年に圓江(つぶらえ)で行われた八十嶋祭の祭場に瀬織津比売神・津布良彦神・津布良媛神を祀った圓神社を起源とする神社です。圓江は現在の靱本町(うつぼほんまち)付近です。

1594年に鹿野藩主の亀井茲矩が船場の邸宅の一部を寄進。亀井茲矩の邸宅敷地内の源正霊神(鎌倉権五郎景政)を合祀したうえで、圓神社は圓江から現在地に移転しました。
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鎌倉権五郎景政は平安時代の武家からの信仰が篤く、当社は「五郎の宮」「圓御霊」と呼ばれるようになり、江戸時代の1696年に「御霊神社」と改称。「船場の御霊さん」として親しまれています。

【駅周辺/東】土佐堀通を東へ。京阪電車が地下を通っている。

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淀屋橋交差点から土佐堀通を東に向いた風景です。
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この地下を京阪電車が通っています。土佐堀通を東へ進むと北浜駅方面です。

【江戸時代の蘭学塾】適塾

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適塾(てきじゅく)は蘭学者・意思であった緒方洪庵(おがたこうあん)により江戸時代後期に開かれた蘭学塾で、福澤諭吉や大村益次郎を輩出。西洋医学の研究が行われ、種痘やコレラなどの研究に関して業績を残しました。

適塾の建物は国の重要文化財に指定されており、内部を観覧することができます。

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