愛する皆さま~♡
いつもブログを読んでくださりありがとうございます(*´з`)♡
今回は、かふぇおれちゃんと翔明ちゃんからの熱烈リクエストをいただき(勘違いならごめんなさい( ;∀;))
私がいつもお参りに行ってますお寺の、はじまりのお話しです♡
えるの先生がこのお話し「まんが日本昔話みたいですね」
とおっしゃったので(笑)
よくブログに書かせていただいてますが、母の病室に来てくださった弘法大師様や、道に迷った男の子をお婆さんのお姿で家まで届けてくださった白衣観音様のおられるお寺です。
いつも季節のお花が綺麗で、優しい佛様と優しいご住職様と奥様が迎えてくださるこのお寺。
もともと荒れ果てた庵のような所だったそうです。
それを、先代のご住職である尼僧さま(今の奥様のお母親)がここまで大きくされたのですが。。
今から約60年前。
当時、尼僧さまは普通の主婦でした。
もともと信心深いお方で、家の近くのお堂に毎日お参りしたり。神仏をとても大切にしておられたそうです。
ある日、如意輪観音像を背負った弱ったお爺さんを助けました。
そのお爺さんは身寄りもなかったので、家でお世話をしてあげていました。
やがてお爺さんは亡くなりました。
そこからこの、平凡だけど幸せに暮らしていた主婦の人生がガラッと変わります。
お爺さんの残した如意輪観音様のご意思がこの主婦を通して表されるようになったのです。
人々の困りごと、病気などを次々と解決していかれます。
そして、「山の奥の庵に家族皆で入れ」とお告げがあり、行ったらほんとにボロボロの庵がありました。
こんなところに人が住めるのか。。と当時小学生だった奥様(この主婦の娘さま)は衝撃だったそうです。
でもこの主婦は如意輪観音様のお告げ通りにそこに住みました。
山奥で人なんか住む想定じゃないので、もちろん電気も来てなくて。
市にお願いを続け、1年後にやっと電気が来たそうです。
その間は、自家発電で一日に3時間だけ電気がつきます。それ以外はお風呂もおトイレも蝋燭の火だけ。
受験生だった息子さんもいたし、小学生の奥様が蝋燭で、離れたおトイレまで行くのは怖くて泣きそうだったとのこと。。
主婦は尼僧になりこの荒れ果てた庵をお寺として復興させること、人々を救い続けることを如意輪観音様のお告げどおりに、日夜尽力していました。
「母は苦労を苦労とも思わず、それを自分の使命として、人々が元気になっていく姿に喜びを感じながら逞しく生きていった人でした。」
と、奥様はおっしゃっていました。
「ここの仏さまがたはとてもお力を持っておられるといつも母は言っていました。仏さまの道にそれないように生きていたら、一生懸命拝んだら、ちゃんと導いてくださると。」
今ではこのお寺のご本尊である如意輪観音様はじめ、馬頭観音様、不動明王様、白衣観音様たくさんの仏さまがたに救っていただいた多くの人々が、檀家さんとなってこのお寺を支えています。
毎月先祖供養の日は多くのかたがお参りにこられてて、
「娘が3歳のころ、ずっと熱を出しててね。。どの病院に行っても治らなくて。ここのお寺の尼僧様にご相談して、時々こうしてお参りに来なさいな
って言われてね。そしたら翌日娘の熱が下がったのよ!」
って、不思議なお話しをしてくださいます(*^-^*)
如意輪観音様を背負ったお爺さんに会うことなんてなかなか、というか絶対ないですよね( ;∀;)
しかもその見ず知らずのお爺さんを手厚くお世話して、背負ってた如意輪観音様に導かれ、いまのこのお寺があるんだと思うと。。
あらためてこのお寺とご縁をいただいたことがありがたくて尊くて。
人にやさしくする心、仏さまを信じる心、そこに仏さまの「人々を救いたい」というご意思を受け止める場所ができて、たくさんの奇跡のような出来事が生まれてきて。
それを伝えていく人々の心もまた仏さまの光とおなじなのですね。。ラン先生(*^^)
最後までよんでくださりありがとうございました♡
神様ほとけさまの優しい思いで溢れるこの世界は素敵な所なんだと、皆様にもほんの少しでも届いたら幸せです♡
さて次のブログは。。
すぐオチをつけたがるんだから( ゚Д゚)
カックラキン大放送懐かしいなあ。。
これがわかるかたは同世代ね♡
研ナオコさんと五郎ちゃんのコント最高よね♪笑
かふぇおれ画伯に励まされ今回もイラストがんばりました♪
皆さま愛してます~♡
ありがとうございました♡