阪神淡路大震災の証言記録~灘校より~あの日を知らない君たちへ

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コラム


子供の教育、受験、不登校
介護、看護、看取り・・・
家族の将来に
不安を持つ方のための
寄り添いナース✿さくら ようこ✿です



平成7年(1995年)1月17日午前5時46分
阪神淡路大震災が起こり
重大な被害が出ました。

当時の大阪で経験した私を振り返り
神戸市で被災した灘校が作成した
「“あの日”を知らない君たちへ
―阪神淡路大震災と灘校 証言記録」
ご紹介し
またいつ来るか分からない災害に
備えたいと思います。



あれからもう30年も経つのですね・・・
当時、私は大阪の総合病院の小児病棟で
深夜勤務をしていました。


見回り中に突然!
グラグラと揺れ
じっと立っておられず
右へ左へと揺さぶられました。

防火扉がバンバンと閉まっていき
新築の立派な病院の壁にヒビが入り・・・
何が起こったのか認識するのに
少し時間がかかりました。

ふと我に返り
病棟の子供達の安否確認を
しなければなりません。

まず、人工呼吸器の患者さんから
次は持続点滴の機械がきちんと作動してるか
の順でと後輩に指示をして
手分けして急いで確認に回りました!


子供達に
「大丈夫やからね!落ち着いてね!」と言うと

「看護師さんの方が落ち着いてよ!」と
返され、苦笑いしたことを覚えています(~_~;)

情報が入ってこないので
キッズルームのテレビをつけ
付き添いで泊まっていた
保護者の方々と情報収集に努めました。


時間が経つにつれ
神戸の街の悲惨な状況の映像を見て
ショックを受けました・・・

私が勤務していた病棟では
白血病や悪性疾患で
余命宣告をされた子

骨髄移植中の子や
難病の子達が沢山いました

ヘリポートがある病院だったので
神戸からヘリコプターで
白血病のGVHD(骨髄移植を受けた
患者に起こる免疫反応)をおこし
全身の皮膚が真っ黒に色素沈着した少女が
運び込まれてきました。

付添のお父様にどちらから来たのか
尋ねると、確か神戸市長田区
と言われたので

後輩と一緒に、当時支給された
夜勤食のカップラーメンを全部
差し入れさせて頂きました。

本当はボランティアで
ケガ人も大勢いる神戸の町へ
何泊か手伝いに行きたいと
思っていましたが・・・

まだまだ危険な状況で
その年の10月に結婚予定だったため
自分の守りに入ってしまい
行かなかった事
今でも後悔しています。

あれから随分年月が流れー
私も結婚し、息子達も生まれ

確か長男が灘高校3年生の時に
“あの日”を知らない君たちへ 
―阪神淡路大震災と灘校 証言記録―
が配布されたので
冊子の紹介をしたいと思います。



★あの日を知らない君たちへ縮小.jpg



“大震災から四半世紀が過ぎ
学校の周りにもその傷跡は
見かけなくなり
教職員達もほとんど入れ替わり
震災体験が薄れていく。

しかし、震度7でインフラを絶たれ
1か月休校を余儀なくされながら
200人を超える避難者を受け入れた
その貴重な体験は

当時を知る者だけの胸に
仕舞っておくべきものではないという事で
冊子を作成された”との事。


中を読むと
震災当時の校内・校外
避難生活の写真や
震災日記、震災体験談集が
掲載されています。


1月17日6:30ごろ
避難者が集まり体育館開放



★震災灘校内縮小.jpg



7:30~9:30ごろ
下宿生が学校周辺で
生き埋めになった方々の救出や
遺体の搬送

10:00ごろ
区の要請で体育館を遺体安置所とする



★遺体安置所縮小.jpg



用務員室の電話を開放したところ
長蛇の列ができる。

昼過ぎ
午前中で遺体数56体となる。

近くの甲南市場から失火
2日間燃え続ける。



★灘校無料診察室縮小.jpg



職員が大阪から灘校まで
たどり着くのに6時間かかる。

震災1日目の夜
下宿生は近所の先生方と一緒に
研修館に泊まって
避難されてきた方は
避難所に自由に入ってください
という形で一晩を過ごす。

震災の翌朝
御影のコンビナートの
タンクにひびが入りガス漏れ
火が付いたら大爆発するので
全員避難しろと警察が来た。

そうは言っても
家が無くなって
避難してきた人もいたし

「もう俺はここで死ぬ」と
言ってた人もいた。



★灘校炊き出し縮小.jpg



ただ、下宿生は西宮北口駅まで行けば
阪急が梅田駅まで動いてたから
とにかくそこまで集団で行ってくれと。

中1から高3までいたから
高3が列の前と後ろにいて
間に中学生を挟むような形で行けと。

大阪からは新幹線・飛行機も
動いているから実家へ帰れるはずと
送り出した。


当時は携帯電話もまだ
普及していなかったので
安否情報は正門前の掲示板が
頼りだったと。



★灘校掲示板縮小.jpg



その冊子を読むと
当時のとても大変だった様子が
伝わってきます。



毎年1月17日に
神戸市中央区の東遊園地で
「つどい」が営まれている。

そこは
震災で大切な人を失った人が
訪問されているだけではなく

「震災を後世に伝えよう」
という人々の
“決意のような空気感”に
満ち溢れている場になっているという。



★東遊園地縮小.jpg




阪神淡路大震災だけでなく
東日本大震災での経験も教訓にしながら
能登半島その他の地震対応に
活かして頂きたいです。

私達も日頃から
震災に備える必要があります。

灘校では、入学すると
1人1セットの非常食が
学校に備蓄されています。

幸い非常事態は起こらなかったため
卒業時、持ち帰りましたが

両手で持てる位の大きさの白い箱に
・500ml水のペットボトル
・災害備蓄用パン
・非常食 アルファ米 きのこ御飯
・お菓子のビスコなど



ビスコキャンバ編集.png



いずれも5年間
長期保存が出来るものが
入っていました。


<震災時に必要なものリスト>
緊急時に備え、以下を
チェックリストとして活用してくださいね。

ココナラブログ画像非常物品.jpg


★★避難時に必須★★
□リュック(防水仕様)/歩きやすい靴
□ヘッドライト/懐中電灯/ホイッスル/防犯ブザー
□軍手/ヘルメット/雨具(傘やレインコート)
□紙のハザードマップや連絡先メモなど

★★応急手当セット★★
□消毒薬/ガーゼ/絆創膏/包帯/三角巾
□毛抜き/テープ/万能ナイフなど

★★必需品★★
□体温計/常備薬/おくすり手帳
□メガネ/コンタクト/生理用品
□マスク/消毒ジェルなど

★★貴重品★★
□身に付けられる入れ物(サコッシュやポーチ)
□現金(小銭多め)
□緊急連絡先/大切な人のプリント写真(裏に名前・連絡先を書く)
□重要書類コピー(免許証/マイナンバーカード/
 健康保険証/通帳の表紙/クレジットカード券面/
 パスポート/加入保険の証書や契約書/年金手帳

★★情報収集ツール★★
□スマホ充電器/モバイルバッテリー
□携帯ラジオ/イヤフォン/乾電池
□ノート/筆記用具

★★食料品★★
□水(1人3リットル/日)/非常食

★★快適な避難生活アイテム★★
□非常用トイレ・トイレットペーパー
□洗面用具/歯ブラシ/ウェットシート
□水筒/食器/サランラップ
□布ガムテープ
□スリッパ/レジャーシート
□非常用アルミシート(保温防寒用)
□ビニール袋(大/中/小)
□着替え/タオル/防寒具など

★家族やペット用★
□赤ちゃん:ミルク/哺乳瓶/離乳食/おむつ/
 おしりふき/抱っこ紐/母子手帳
□高齢者:老眼鏡/補聴器/入れ歯/杖/成人用おむつ
□ペット:フード/療法食/薬/
 ケージ/首輪/リード/ペットシーツなど


※もう少し詳しくまとめたチェックリストPDFを
ご希望の方はメッセージくださいね。

各ご家庭でも非常用持ち出しリュックは
必ず準備して震災に備えてくださいね!!


✿*゚・.。.:*✿*゚・.。.:*✿*゚・.。.:*✿


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