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「インスタントハウスで避難生活じゃ!」

やっと出たね~♪日本なんて「超地震国家」なのに「何で地震対策費をケチってんの?」とず~っと思っていたぜよ~。「阪神淡路大震災」、「東北大震災」、そして今回の「能登半島大地震」じゃ。その間に「熊本」や「北海道」もたしか、あったぞよ。^^;そこでいつも、問題になるのが「トイレ」と「睡眠」と「食事」じゃ。もちろん「衣服」や「お風呂」、「防犯」、「レイプ、盗難」等ももちろん重要じゃ。その各種問題をね~「イッキに解決?」ではナイけど~、この「インスタント・ダンボール・ハウス」があれば、かなりの「問題解消?」にはナルと思うけど、ど~じゃろか?(^^;もちろん「ベッド」は「収納を兼ねた紙のベッド」じゃ。まあ、最近のダンボールってかなり「丈夫で長持ち」じゃし。おそらく「100キロ」程度の人なら問題ナイと思うけどね~♪それに「収納」があれば、そこに「貴重品や食料・飲料・薬・衣服やオムツ等」をたくさんではナイけど、かなり収納可能と思うけどね。ま、「ダンボール」なので、雨や風にはちょい弱いかもしれんけど、そこはおそらく「計算済み?」じゃと思うぜよ。ま、お外の場合は「段ボールハウス」ではなく~「超シンプル・ビニールハウス」があるぞよ。ボクはそれを見たもん!フフフ。だって「名古屋工業大学」の「北川教授」が前から、ず~っと「考案」していた「簡易・住宅」じゃ。それを今回の「能登半島地震」で「お披露目」じゃ!!でも、何で、ホンマに「地震国家・日本」は「北川教授個人」が「提案・創造・制作・配送?」までやらんとイカンのじゃ~!?アホかっ!!ま、色んな関係先?もアルじゃろ~から、日本政府としても「痛しかゆし?」の状
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子どものために○○○は固定してください!

こんにちは。パーソナルナースのうさぎです。27年阪神大震災から27年も経ちました。あの日私は西宮市に住んでいて子どもは3歳、1歳🟠子どものために食器棚は固定してください!🟠阪神大震災 震度7食器棚は、ベビーチェアの上に倒れ台所は 割れたガラスの海・・・「もしあの時、子どもをベビーチェアに座らせていたら・・・」想像するのもおそろしい。幸運なことにその時はみな寝室にいたので二人の子供を守ることができました。南海トラフ地震、首都直下地震・・・危機は迫っていると聞きます。地震の時、家具は凶器です。ちなみにその日以来、私は食器棚を買っていなくて「明日が来るとは限らない」初めて知った日でした。みなさま 家具の固定してくださいね !(^^)!
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僕がココナラをはじめた理由~奇跡の生還から26年~

こんにちは、あずま貴之です♪ 僕はココナラでビジネスを教えながら メンタルサポートの専門家として活動しています。今回のブログでは、なぜ僕がココナラをはじめたのか?という理由を書いています。少し長いのですがよければ最後まで読んでもらえると嬉しいです。そのきっかけになったのが1995年1月17日 阪神淡路大震災があった日です僕は、当時の震災の奇跡の生還者のひとりです。震災、当日・・・その日はなぜかいつもより早く目がさめました。 そして、起き上がったその数分後に 大きな揺れがあり あっというまに 僕は家屋の下敷きになりました。 あたりは真っ暗な闇に包まれ 体は家屋の下敷きになり 動くこともできない かろうじて瓦礫の隙間から 呼吸をしているような感じでした。 助けを呼んでも、誰にも届かない・・・。 ただ、近くにいるであろう 家族や住人の苦しい声が かすかに聞こえる程度だった。 助けを呼ぶ声もむなしく 体力もなくなってきて 冬の寒い中意識も遠のいていく・・・。この状況は、もう助からないと思い 幼いながらにもこのまま ”死んでしまうんだな” と思いました。 ただ・・・その時、奇跡はおきました。 あれは、本当によく覚えていないんですが 一瞬光りが目の前に現れたような そんな記憶がいまも残っています。 あれが、なんだったのかは いまでも、わかりません。 ただ、その直後に偶然 レスキュー隊があらわれて 瓦礫の中から救出されました。 真っ暗闇の中だったので 外に出るまで状況はわからなかったのですが 想像以上に無残な光景を 目の当たりにしました。 当時、2階たてのボロアパートの1階に 住んでいて2
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