もし、身体がなかったとしたら、どう感じると思いますか?
あなたは意識だけの存在となり、まるで空気のように空間に浮いています。
感情というものは思考や判断から生まれるので、脳(肉体)がなければ誰かの心ない一言にいつまでも落ち込んだり、一日中腹が立って仕事が手に付かないなんて事もないでしょう。
ちょっと不思議な感じがするでしょうか?
身体がないと「自分」という立場に囚われずにいられますので、「ああ、そんな意見もあるのか」と感じるかもしれません。
身体があると私達はどうしても「自分」という立場から物事を見るので、物事の捉え方がニュートラルではない事も少なくありません。
「自分」という枠を外して見ると、少し広い、あるいは高い視点から物事を見る事ができ、「自分」という立場や視点からでは気付けなかった事に自然と気付ける事があります。
瞬間的に、ただ「分かる」事があります。
その時、他人からの心ない一言と受け止めた出来事が、実はそうではなかった事を理解出来ます。
ただ、気付きの為に起こったのだと分かるのです。それは癒しや感謝を呼び起こします。
多くの場合、私達は「自分は正しい」という前提で物事を受け止めていますが、私達はあまりそれに気付いていません。
また、それまでの経験からその人なりの価値観、信念体系、思い込みを少なからず持っています。物事自体はニュートラルなのですが、自分の価値観でふるいにかけ、良い事だ、悪い事だ、前にも同じような事があってこれは自分のパターンだ等々、無意識のうちにしかも瞬時に判断して受け止めています。
自分の価値観や思い込み、こだわりや囚われが強いほど、実は視野が狭くなってしまっているかもしれません。
瞑想をしてだんだん時間が経つと、肉体感覚が薄れて自分が透明の意識だけになったかのように感じられる事があります。
ある日セルフケアやセルフワークで強めの執着(思い込みとも言えます)を手放した後、日々の瞑想の味わいが深くなり、ただ「分かる」事やインスピレーションが増えて来ました。
物事の意味が分かるので、感情的になったりモヤモヤした気持ちで過ごす事も減り、表面的には日常的な喜怒哀楽の波はありますが、心の奥底には深い海の静けさのような穏やかさがあります。
そしてこれは決して消えるものではないのだと分かっています。
これまでの延長で進みはしなさそうで、先の見えない不安に包まれる事の多いこの頃ですが、心の平安を求めて瞑想を始める方もいらっしゃるかもしれません。
瞑想をする事でこのような気付きや癒し、意識の拡大が起こる事はあると確かに言えますが、それを求めて瞑想すると、なかなか辿り着けないかもしれません。
私の経験では瞑想はそんなパラドックス(?)があるようです。
ですが現代人は自分の外側にばかり目を向けているのが常だと思いますので、少しの時間を取って内側に心の目を向ける事は、生きるという上でとても大切で必要な事だと思います。
是非、日々少しの時間を取って瞑想されることをお勧めします。