妖精、UFO、座敷童。なぜか私の周りには不思議な話が集まってくる

妖精、UFO、座敷童。なぜか私の周りには不思議な話が集まってくる

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スピリチュアルに興味があろうが、なかろうが。

ほぼ、すべての人が、一度くらいは「なんだこれ?」という不思議な体験をしたことがあるんじゃないか


いままで知る範囲では
・鉄道系の不動産会社で働く方が高校生の時に木の切り株に座っている妖精🧚を見た話
・不動産屋の社長が売上を上げる為に座敷童に会いに行った話
・不動産会社の専務がUFOを見た話
・お金がかかっても不動産屋は必ず井戸の息抜きは大切にしているという話
・八ヶ岳の郵便局で働いている方々の複数人がUFO目撃経験があった
なんかそんなことを考えていたら

ふと人は皆、
本質的になにが大切かも気づいているんだろうな
と気づいた
その上でいろいろな体験を各々か好きでしているんだな・・。

考えてもみて
大いなるひとつの源が無限♾️の宇宙に広がっているんだよ

一つの源が無限の惑星🪐に存在するあらゆる生き物の中に宿っている

ということは
どの体験も
どの存在も
🟰 イコール だ・・・・


ひとつの源があらゆる生き物に入り込んでいる というのが、もし本当なら


誰かを羨ましく思ったとき、実は「自分」が「自分」を羨ましがっている。

誰かを見て、「すごいなぁ」と思ったときも、「自分」が「自分」を見て、「すごいなぁ」と言っている。

逆に、「あの人は嫌いだ」と思ったときでさえ、「自分」が「自分」を見て、「嫌いだ」と言っている。

ひとつの源の中で、自分と自分が、何かを体験しているだけなのかもしれない。

そう考えると、人間関係って、ものすごく不思議だ。

だって、目の前にいる人を「他人」だと思っているけれど、

もし本当に源がひとつなら、その「他人」は自分自身なんだもの。


そして、不思議な体験というのも、もしかすると、そういう「当たり前だと思っていた世界」の隙間から、ちょっとだけ、別の世界が顔を出しているだけなのかもしれない。


妖精を見た人も。
UFOを見た人も。
座敷童に会いに行った人も。
井戸を大切にする人も。
何も見たことがない人も。

結局は、それぞれの人生という舞台の上で、それぞれの役を演じながら、
「何か」を体験している。

そう思うと、
「あの人は変わっている」
「あの人はすごい」
「あの人は自分より上だ」
「あの人は自分より下だ」
なんていうものも、本当はないのかもしれない。

ただ、違う体験をしている。
違う場所から、違う景色を見ている。
それだけ。

もしかしたら、この世界で一番不思議な体験って、
幽霊を見ることでも、
UFOを見ることでも、
妖精を見ることでもない。

「自分」という存在が、自分自身を体験していること。
それなのかもしれない。

今日も、ひとつの源の中で、
私たちはそれぞれ、自分だけの不思議な人生を味わっている。
なんとも摩訶不思議な世界だね。

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もしこの記事を読んで、
「自分の人生も、もう少し面白がってみたいな」
「最近、心が動くことが少なくなったな」
と思った方へ。

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