「死ぬのが怖い」
「いつか終わってしまうのが恐ろしい」
私たちは幼い頃から、生きている状態を「光(善)」とし、死ぬことを「闇(悪)」として、生と死をパッキリと二分する世界観の中で育てられてきました。
まるで、明るい「生の部屋」から、ドアを一枚隔てた先の真っ暗な「死の部屋」へ、ある日突然突き落とされるかのように。
でも、本当にそうでしょうか?
生と死は、そんな風に背中合わせで争う対立概念なのでしょうか。
私は、生と死は「白と黒」ではなく、夕暮れ時の空のように滑らかに移り変わるグラデーションのようなものだと思っています。
全てを飲み込み、包み込む「静寂の海」の視点
息を深く吸って、ゆっくりと吐き出す。
吸う息が「生」なら、吐き切ったあとの一瞬の静寂は小さな「死」です。
夜眠りにつく瞬間、意識が静かに溶けていく感覚も、また小さな「死」の体験と言えます。
そう考えると、死は遠い未来に待っている未知のモンスターではなく、今この瞬間も私たちの日常のすぐ隣に、そっと寄り添っているものだと気づきます。
生きているからこそ、刻一刻と何かが終わり、新しく生まれ変わっていく。
花が萎れること。季節が移り変わること。感情が生まれては消えていくこと。
それらすべての「終わり」と「始まり」を、ただ深い海のように静かに受け入れてみてください。
波が寄せては返すように、生と死は同じひとつの大きな循環(海)の一部でしかありません。
死を受け入れるということは、悲劇に怯えることではなく、変化そのものを優しく抱きしめることなのです。
「固いカタチ」を握りしめるのをやめてみる
では、なぜ私たちはこれほどまでに「死」を恐れてしまうのでしょうか?
その原因は、私たちが「目に見える固い形」に固執しすぎているからかもしれません。
「この肉体をずっとこの状態のまま維持したい」
「積み上げた財産や立場を失いたくない」
「今のこの幸せな形を永遠に固定したい」
物質的な形や状態をギュッと強く握りしめ、「形が変わること(失うこと)」を拒絶しようとすればするほど、形が崩れる恐怖――つまり死への恐れは大きくなります。
でも、「握りしめた手を緩め、形へのこだわりを手放してみる」ということは大きなレッスンのようです。
私たちの体も、思考も、もともとは宇宙や自然からの「借り物」の素材に過ぎません。
死とは、その借りていた素材を一度分解して、元の大きな世界へとお返しするだけのプロセスです。
固形だった氷が溶けて、水になり、やがて蒸気となって空へ広がっていくようなもの。
氷の形(生の状態)だけが自分なのではなく、水になっても、気体になっても、あなたという命のの本質は何一つ損なわれません。
「固いカタチ」への執着をフッと手放したとき、生と死の境界線はスーッと消えていきます。
毎瞬、生まれ変わりながら生きていく
死を生の反対側に追いやるのをやめると、いま生きているこの1秒が途端に愛おしく、そして軽やかになります。
過去の自分に縛られる必要もありません。
昨日の自分は昨日で死に、今日の私はまた新しく立ち上がった存在だからです。
カタチに固執せず、変化の波に身をゆだね、生と死が織りなすグラデーションをただ味わう。
目に見える形はいつか崩れますが、その変化をまるごと包み込むあなたの本質は、どこまでも自由で豊かです。
今日という日も、小さな生と死を愛でながら、軽やかに呼吸していきましょう。
makiko
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