「美しさ」は「醜さ」があるから存在する
世の中には「美しいもの」と「醜いもの」があるように見えます。 でも老子は、これはコインの表と裏のようなもので、どちらか一方だけが存在することはあり得ないと説きました。
「美」という言葉が生まれるためには、比較対象としての「醜」がなければなりません。つまり、私たちが何かを「美しい」と感じた瞬間、同時に「醜い」という概念も生み出しているのです。
私たちの悩みは「思い込み」の対立から生まれる
私たちは日々、自分の現状に対して「これは良い(プラス)」「これは悪い(マイナス)」とジャッジを下し、葛藤しています。 「もっと成功したい(美)」「今の自分は情けない(醜)」。
しかし、この対立は自分自身の心が作り出した「思い込み」に過ぎません。 老子の教えを借りれば、**「美は醜であり、醜は美である」**という逆説が成り立ちます。
現状を「逆説的」に捉えてみる
今、あなたが「最悪だ」「自分はダメだ」と思っている現状も、逆の視点から見ればどうでしょうか?
挫折を知っているからこそ、人の痛みに寄り添える「優しさ」になっている。
コンプレックスがあるからこそ、それをバネに成長しようとする「力」が生まれている。
そう考えると、あなたが「醜い」と忌み嫌っていた自分の欠点も、実はあなたの「美しさ」を形作るために欠かせない、大切な一部であることに気づきます。
すべては「一つのもの」からできている
結局のところ、美も醜も、元をたどれば宇宙の根源である「道(タオ)」という一つのものから派生したものです。
対立や葛藤を超えて、今の自分をまるごと「これが私なんだ」と受け入れてみる。 そうすれば、欠点も弱さもすべてが愛すべき対象に変わります。
自分の中にある「光」も「影」も、どちらも大切に抱きしめてあげてください。それが、本当の意味での心の平安(中庸)への第一歩です。