人生は無限大。あなたはいつでもなりたい自分を選択することができる。

記事
コラム
みなさま、こんにちは^^

れいです。

この度は、初ブログにご訪問いただきありがとうございます。

今回は記念すべき1回目ということで、
プロフィールではお伝えしきれなかった
私の簡単な自己紹介と現在の活動のきっかけを
シェアできたらと思います。

私は現在メンタルセラピストとして活動しています。

この活動を始めるに至った経緯としては、
様々な要因が複雑に絡んでいて全ては相当長くなってしまうので、
今回は大切なところをお話しますね。

基本的なプロフィールはこちらをご覧くださいませ^^


幼少期の話。

まだ見ぬ知らない世界に興味津々な物心がついた頃、
「なんで?」という言葉を呼吸のように頻繁に使っていた経験は
誰しもがあり、通る道の1つだと思います。

その中でも特に私は、抱いた疑問のもっと深くにある
本質を知りたがる傾向にありました。

「なんで自分の思い通りに生きてはいけないんだろう。」
「なんで自分の中に男性的な存在と女性的な存在がいるんだろう。」
「なんで大人は表の顔と裏の顔があるんだろう。」
「なんで人は酷いことをしたりされたりするんだろう。」
「なんで人や生き物は生まれて生きて死んでいくんだろう。」

いろんな疑問が出てきては、親や周りの大人に聞いても

「ルールだから。」
「そういうものだから。」
「そんなの知らないよ。」

と、納得できる答えを得ることができず…

答えを生み出す知識も方法も経験もなかったとは言え、
諦められずにいた私は頭の中でいつもグルグルしては
歯痒くも虚しい気持ちで埋め尽くされた日々を送っていました。

girl.png

気になる疑問を一旦横に置いておくことができなかった私は、
家庭や学校でうやむやにされたことや答えがおかしいと感じることに
いつも納得できる理由や答えを求めるような”白黒人間”でした。


例えば、こんな小さなエピソードがありました。

子どものころ、親や学校の先生と会話している中で
「れいって本当に自分勝手で都合いいことしか受け入れないよね。」
と言われたことがあります。

人格形成のベースをつくる幼少期は心のフィルターがとても薄いため、
受け取った相手の感情がダイレクトに自分の中に入ってしまいます。

今考えれば大した内容ではありませんが、
当時は子どもながらに深く傷ついたことを覚えています。

しかし、その言葉を発した本人の行動をよく見てみると、
”都合いい”ことは優越感に浸りながら周りに堂々と発信するにも関わらず、
”都合悪い”ことはひたに隠してうやむやにする始末…

相手の感情に対する子どもの反応は大人よりも敏感に察知します。

他人には「都合いい(ネガティブワードとして)」と発言しておきながら
なぜ同じことがその本人には許されて
なぜ自分は傷つけられなければならないのか…

発言した本人にとっては大した出来事ではなかったと思いますが、
私は納得できないものを「納得できない。」と
結論が出るまで言葉にする頑固な子どもでした。

動けなくなるまでねじ伏せられるか、強引に押し通されるか、
結局、大人の力にはかなうことはなく強制的にコントロールされて
無理やり終わらせることが大半でした。

今はその出来事が起こっている理由を自然と理解できますが、
当時の私にとってはただ傷つけられただけで納得はできませんでした。


いわゆる、大人にとって都合の悪い子どもであり、
「問題児」として煙たがられる存在だったと思います。

実際に「自分勝手」「扱いづらい」「小難しい子ども」と言われ続け
嫌な顔をされた瞬間を何度も見てきたからです。

非常に繊細でこだわりが強い頑固な性格は、
変えたいと思ってもなかなか変えることができず、
当然、友人との折り合いがつかず関係が長く続くことも稀。

外にいても家の中にいても、どこに行っても居場所がなく
いつも孤独を感じながら過ごしていた子供時代でした。

一般的な人よりも感情の強さと幅が広く、
当時はコントロールする術を知りませんでした。

その強い感情を抑えること自体が難しかったり、
人と共感しようとしても感情の幅が広くて理解してもらえず
悲しい思いをしたことも数えきれないほどありました。

「私がおかしいんだ。
だから周りと同じことができないし、理解もされない。
だから周りの人にも馴染めないし、結局嫌われるんだ。
なんで私だけできないんだ。自分なんか嫌いだ。
自分なんか生まれてこなければよかったのに…」

解決法を見出すことができないまま
最終的には自分を責め、誰かや何かを責め、
八つ当たりしては自己嫌悪に陥り、
自己卑下して生きる意味すら失っていました。

私がHSPだと知ったのはつい最近の話です。

当時はそんな言葉すらもなかったので周りと同じことができず、
「変」「おかしい」「呪われてる」などと言われる理由も原因も
まったく理解できませんでした。

とはいえ、HSPはあくまで特性で体質と同じようなものと認識しています。

それまではデメリットばかりに目が向いていましたが、
HSPだからこそ得られるメリットがたくさんあることを知り、
今では「HSPで本当によかったな♪」と感謝している日々です。


唯一の救いは兄。

兄は賢く冷静で我慢強い性格であり私への扱いが非常に上手く、
言葉の言い回しや行動の些細な優しさに安心感を覚え、
信頼し尊敬していました。

もちろん喧嘩もありましたが、
彼によく懐いていたのを今でも覚えています。

brother.png

そんな兄も親元を離れていき、
居場所のなくなった私は他に自分の居場所を探しては
随分と長い間さまよい続ける人生を歩んでいました。

社会に出ても変わることはなく、職場での人間関係も上手くいかず、
やりたいことも見つからないままただ流れていく毎日。

結婚にも出産にも恵まれたものの、育児ノイローゼになり離婚。

鬱を繰り返し、長い間引きこもっては寝込んで拒食症になる日々。

「何のために生きてるんだろう…もう全部終わりにしたい…」

何度も何度も人生のどん底まで突き落とされては
絶望の淵に立たされる状況を繰り返すことに、
心底うんざりするほど生きる気力も体力も奪われ、
生きる意味すら失いかけていました。

もちろん、仲良くしてくれる人とのご縁や楽しい出来事もありましたが、
それ以上に幼少期から抱えてきた闇は大きく深いものがありました。


きっかけになったのは友人からのたった1つの質問。

離婚後にある男性と出会い、人生の中で大きな恋愛を経験しました。

私にとって、それまでになかった良い刺激を与えてくれた存在であり、
おかげで今まで知らなかったさまざまなことを体験することができました。


その体験の1つとして、国家資格を取得したエピソードがあります。

それまで学にご縁のなかった私は、受けてみたら?というたった一言で
特に何も考えずただやってみようという気持ちだけでチャレンジしました。

申込みもギリギリで取り組むための準備にも時間がかかったにもかかわらず、
想定よりも短期間で一発合格することができたのです。

その後、いくつもの資格を取りどんどん自信をつけていったことは
言うまでもありません。

初めて自分に自信がついたきっかけを与えてくれた存在でもありました。


その方の存在のおかげで夢のような人生を歩んでいた私は
ますます相手を深いご縁があると信じて夢中になっていましたが…
知らず知らずのうちにだんだんと依存・執着するようになっていきます。

次第に喧嘩も増えていき、別離と修復を何度も繰り返しました。

「心から大切な存在であることは確かなのに、なぜ傷つけあうんだろう…」

相手への気持ちが強ければ強いほど依存・執着も強くなり、
それでも何とか関係を維持しようと頑張り続けていましたが、
苦しみも強くなっていく一方で八方塞がりでした。

彼も私も心の限界はもうとっくに超えていたのです。

「もうこんな苦しみから解放されたい…」

ある時、ふと友人に相談してみようと思い電話をかけました。

その時の友人の一言が、私を大きく変えるきっかけでした。

「自分にとって深いご縁のある人だと信じているなら、
またいつか必ず会えるはずなんだから不安なんかないはずだし、
本当に信じてるなら手放すこともできるよね?」

私はその瞬間はっとし、自分自身に対して深くショックを覚えました。

”深いご縁のある人だと信じている”と言葉では言っておきながら
結果的には相手を信じていなかった…

つまり、
『顕在意識=信じてる』と認識しているものの、
『潜在意識=(信じてないから)信じたい』と認識している
という自分自身の中に矛盾が生じていることに気づいたのです。

それは、
”本当の愛”ではなく”歪んだ愛”として、ただ相手に押しつけていただけで
いつの間にか自分のエゴがすり替わり、依存・執着していただけだったんだ
と自覚しました。


思い返せば、子供の頃一緒にいて心の支えになっていたのは兄でした。

当時、子どもだった私は兄が必要であり「依存」していましたが、
大人になって本当はもう手放しても問題なくなった「それ」を
ずっと持ち続けて誰かや何かに「依存」していたんだ
ということにようやく気づくことができたのです。

「依存」は時に自分を守るために必要なリソースですが、
時に”その人やモノ、出来事がないと自分は生きられない”
と脳が(無意識下で)判断し「他人軸」な生き方をしてしまうものです。

自分の人生にもかかわらず、
過去を振り返るといつも他人に振り回されて生きてきた私は
まさにその「他人軸」を自分で(無意識に)選択して
自分で自らの人生を埋め尽くしていたのでした。


「まずは自分を愛そう、そして人を愛せる人間になろう。」

私は不要になった「依存」を手放し「自分軸」で生きることを選択しました。

「自分軸」で生きることを知らなかった私は、
今までの知識や経験をもとに片っ端からいろんな情報を集め続けました。

どんな自分も受け入れることができる愛を知り、
人を愛するとはどういうことかを知り、

人だけではなく、神や仏、動物、植物、物質、地球や宇宙…
ミクロな世界からマクロな世界まで。
見えるものから見えないものまで。

そして、今まで自分が見ようとしていなかっただけで
この世界はすべて愛で繋がっているんだということに気づき、
やがて「無条件の愛」の本質を知ることができました。

私にとって「知る」は頭で理解するはなく、
「五感を通して体験(経験)する」ことを指します。

私たちは魂の状態ではできない”体験(経験)”をするために
現実世界を生きているということです。

人は進化する生き物であるということは自然の法則であり、
どう学び、どう進化し生きていくのか選択するのは
みな平等に自由である権利を与えられています。

そして、人にはそれぞれ個人個人の課題があり、
他人との比較やジャッジはそもそも意味を成さないことに
だんだんと気づき、知ることとなっていきます。

比較やジャッジをするのは”エゴ”の存在が主張しているからであり、
自然の法則では、体験(経験)に大小も善悪も正誤もないからです。

ちなみに私は無宗教であり、
スピリチュアルも素晴らしい世界と感じる部分ももちろんありますが、
全て鵜呑みにしているわけでもありません。

特にジャッジすることもありません。

ただ純粋に知らないことに関心を持っているため、
そのことが功を奏し、今でも視野が大きく広がっています。

特に呼吸と瞑想は興味深く、「自分軸」を太く強くして自分を整える上で
自然と日課になり今でも続けています。

瞑想3.png

おかげで自分のマインドが愛と感謝であふれ続け、
幸せに満ち足りながらも静寂と安寧の毎日を送れるようになりました。

現代ではスピリチュアルが科学的に証明されることも増え、
量子力学の「引き寄せの法則」や「波動(エネルギー・周波数)」が
脳や心、現実に与える影響などと密接に関わっていることも
過去の経験を通して理解することができています。

過去の人生を振り返り、
起こった現象や仕組みなども自分と徹底的に向き合い深く掘り下げたり、
「自分軸」を確立するために様々な検証と実践を
何度も繰り返すことに相当な時間を費やし、理解を深め続けています。

ここまでたどり着くのに長い年月と深い絶望の連続を味わいましたが、
私自身が自らそれを選択して引き寄せていたこと、
そして、その経験を自分の血肉に変えていくことができたのも
全ては引き寄せられなければできなかったことに
気づくこともできたのです。

全ては必然であり、全てに意味があることを学ばせてくれた
両親、兄、友人、パートナー、子ども、学校や職場の方など…
私の人生のどんなに小さく些細なことでも関わってくださった
全ての人・モノ・出来事に感謝しています。

これからも学びと実践を深め自己研鑽し続けていきながら
進化していくことに変わりはありません。

この人生で得たあらゆる学びと経験から悟りを開いたことで
次の誰かの心の中にほんの少しでも光が差し込むような
気づきときっかけを与えられる存在として、
その輝く光を多くの人に届けて広げていきたいと思いから
今の活動を始めるに至りました。


自己紹介と活動のきっかけについて簡単ですがこんな感じです。
今回の内容だけではお伝えしきれていないことはまだまだありますが、
止まらなくなりそうなのでこの辺にしておきます^^;

またいつか機会がありましたら、
その時に未公開のお話もさせていただきますね。

今後の記事については少しずつですが、
その時に気づいたことやお伝えしたいことなどをシェアさせていただき、
何か少しでもみなさまのお役に立てたら嬉しいなと思いますので、
よかったらぜひ遊びにきてくださいね^^

登録&フォローもよろしくお願いします♪

ここまで読んでいただきありがとうございました。

これからもどうぞよろしくお願いします^^


心より愛を込めて♡れい


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す