青の教室 俊雄 第11話/5月16日 ――同じ場所から――
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青の教室 俊雄 第11話/5月16日
――同じ場所から――
(前話から一か月後の場面)
夕方の青の教室は、
昼間よりもさらに静かだった。
扉がそっと開き、
俊雄が入ってきた。
この一か月、
俊雄の歩き方は変わらないようで、
どこかほんの少しだけ柔らかくなっていた。
席に着くと、
かばんから数学のプリントを取り出し、
自然に鉛筆を走らせ始める。
(……)
胸の奥で、
昨夜ノートに書いた「ことば」が
ふっと浮かんだ気がした。
でも、
それを友彦に見せようとは思わない。
見せたくないのではなく、
見せるという行為をしないだけ。
それが俊雄の自然な距離だった。
友彦は、
ときどき軽く聞く。
「書いたの?」
俊雄は、
ほんの少しだけうなずく。
それ以上は追わない。
追わないことが、
俊雄にとっての“安心”になっていると
友彦は知っていた。
この一か月、
その距離は静かに馴染んできていた。
***
ふと、
友彦は窓の外の夕暮れを見ながら言った。
「俊雄。
昨日、夢を見たんだ。」
俊雄は手を止め、
少しだけ顔を上げる。
友彦は、
そのまま淡々と語り始めた。
***
放課後の教室。
誰もいないはずの窓辺に、
友彦がひとり、座っていた。
机の上には開きかけのノート。
その隣に、くしゃくしゃになった紙が
いくつも転がっている。
友彦はそっと近づいて、声をかけた。
「まだ残ってたんだね。」
「……うん。」
「何か、書いてたの?」
「……うん。書いてた。けど、消した。」
「どうして?」
友彦は、しばらく黙っていた。
それから、ノートを閉じて、
ぽつりと言った。
「ぼくはぼくでいる。
それしか方法がないのです。」
友彦は、息をのんだ。
それは、誰かの言葉のようで、
でも、確かに友彦自身の声だった。
「……それ、詩?」
「わかんない。
でも、そう思ったから、書いた。」
「うん。すごく、いいと思う。」
友彦は、少しだけ笑った。
その笑顔は、
どこか遠くを見ているようだった。
***
俊雄は、
その夢の断片を
胸の奥で静かに受け取っていた。
友彦はそれ以上、
何も言わなかった。
二人の間に、
夕方の青い静けさだけが流れた。
***
俊雄は、
数学の問題をひとつ解き終えると、
また手を止めた。
胸の奥で、
ノートに書いた「ことば」が
静かに浮かぶ。
そして、
さっき友彦が語った
“ぼくはぼくでいる”という言葉も
同じ場所に沈んでいく。
俊雄は、
また鉛筆を動かし始めた。
友彦は、俊雄の横顔を見つめる。
(俊雄の“ことば”と数学は、
同じ場所から生まれている)
***
プリントを閉じた俊雄の動きは、
いつもと同じようで、
どこか違っていた。
青の教室の空気が
静かに揺れる。
俊雄は、
その揺れに気づくこともなく、
かばんをそっと閉じた。
青の教室は、
今日もまた、
俊雄の静かな変化を
導きながら、そっと守っていた。