青の教室 陽子 第20話/4月7日 ――小さな問い――
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学び
第20話/4月7日
――小さな問い――
午後の青の教室は、
昨日と同じように静かだった。
けれど、陽子の胸の奥には、
昨日よりも少しだけあたたかいものが残っていた。
スケッチブックを抱える手が、
ほんの少しだけしっかりしている。
席につくと、
さとるがすでに来ていて、
プリントをめくりながらぶつぶつ言っていた。
「先生、これこの前の続き?
あ、でもオレ、ここ飛ばしていい?」
「さとる、思う通りでいいよ」
友彦が少し苦笑しながら言う。
その声を聞きながら、
陽子は静かに課題表を取り出した。
***
地理/1ページだけ
歴史/中大兄皇子だけ
理科/凸レンズだけ
昨日と同じ課題表。
でも今日は、
その紙の“向こう側”を見ているような気がした。
陽子は、
その紙をそっと整えながら、
胸の奥に浮かんだ言葉を
小さくつぶやいた。
「……自分勉強って、何だろう」
誰に聞かせるでもない声。
でも、その声は
確かに陽子自身のものだった。
友彦には
その声が聞こえていた。
けれど、返事はしない。
陽子の中に生まれた“問い”を、
外から触れることをしない。
陽子は、
理科のページを開いた。
ざわつきが来る。
それは昨日と同じ。
でもまた、
陽子は胸の奥でそっとつぶやいた。
一つずつ。一つずつ。
凸レンズの図を見つめる目は、
昨日よりも落ち着いていた。
***
しばらくすると、
陽子はノートを閉じ、
ふう、と息をこぼした。
気づけば、
スケッチブックを取り出していた。
昨日描いた女の子のページを開く。
その横に書いた「ユイ」という名前が、
胸の奥で小さく光る。
陽子は、
白いページをそっとめくり、
新しいページにペンを置いた。
そして、
小さく文字を書く。
「ユイはなにがすき?」
その言葉は、
陽子自身への問いでもあった。
友彦は、
陽子のノートをのぞき込まない。
ただ、陽子の肩の力が少し抜けたことだけを
静かに、でもしっかりと感じ取っていた。
(陽子は、
“自分”という場所に
そっと手を伸ばし始めている)
友彦は、
それを言葉にしない。
言葉にした瞬間、
その芽はつぶれてしまう。
そんな、思いにもならない思いが
友彦にはいつもある。
***
「先生、これできてる?
あ、やっぱりできてないな。
でもまあ、やるか」
さとるの声が、
教室の空気を少し揺らす。
その“雑だけど前に進む感じ”が、
陽子の胸に不思議な風を通した。
(さとるくんは、
自分で決めて、
自分でやってるんだ)
陽子は、
自分のノートをそっと開き直した。
***
再び課題表に戻り、
地理を1ページだけ進める。
歴史も、大化の改新の復習を少しだけ。
陽子は、
自分のペースで一回りを終えた。
友彦がひとこと言った。
「陽子、今日は……
自分でよく考えてたね」
陽子は、
少しだけ照れたようにうなずいた。
***
帰り道、
陽子はスケッチブックを抱えながら歩いた。
“ユイは、なにがすきなんだろう。”
その問いが、
胸の奥で静かに揺れている。
それは、
陽子自身の“根っこ”が
土の中でそっと動き始めた証だった。
青は、その根っこを
静かに包む土でもあった。