青の教室/陽子 第3話(3月12日)――母の胸に、はじめて差し込む光――

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学び
第3話(3月12日)
――母の胸に、はじめて差し込む光――

朝の空気は、昨日よりも少しだけ柔らかかった。
 けれど、その柔らかさは、陽子の胸には届かなかった。

布団の中で目を覚ました瞬間、
 昨日の夜の母との衝突が、
 まだ身体のどこかに残っているのが分かった。

胸の奥が、じんわりと重い。
 足首をひねった翌日のように、
 触れられたら痛む“影”が、
 今日はまたうずいていた。

――今日は、行けない。

そう思った途端、
 身体が布団に沈み込んだ。

昨日、陽斗とひかりが見せたあの笑顔。
 詩を読んで、まっすぐに答えたあの声。
 そして、自分の影がうずまなかった一日。

その余韻は、確かに胸の奥に残っている。
 けれど今日は、その余韻よりも、
 母の言葉の棘の方が勝ってしまった。

「……ごめん、今日は無理」

陽子は、誰に聞かせるでもなくつぶやいた。

階下では、母が陽斗の準備を手伝う声がする。
 その声を聞くだけで、胸がきゅっと縮む。

――今日は、家を出られない。

陽子は、静かに目を閉じた。


***

青の教室の前には、
 母と陽斗そしてひかりの姿があった。

母の名前は――陽子と陽斗の母・美咲(みさき)。
 外見はきれいで、仕事もできる。
 けれど、その内側には長年しみついた
 “管理”と“正しさ”が、固い殻のように張りついている。

美咲は、青の教室のドアを見つめながら、
 どこか落ち着かない様子だった。

「おはようございます、お母さん」

友彦がドアを開け、穏やかな声で迎えた。

「あ……おはようございます。
  今日は、陽斗とひかりちゃんをお願いしようと思って……」

美咲は、少しだけ声を張って言った。
 その声には、いつもの“強さ”が混じっている。

「もちろん。二人とも、昨日とても楽しそうでしたよ」

友彦が微笑むと、
 美咲はほんの一瞬、表情をゆるませた。

だがすぐに、
 「あの……陽子なんですけどね」
 と、声のトーンを落とした。

「今日は体調がすぐれなくて、お休みだって言うんです。
  まったく……最近、気持ちの波が激しくて。
  言っても聞かないし、反抗ばかりで……」

愚痴のような、嘆きのような言葉が続く。
 その裏には、
 “どう扱っていいか分からない”
 という母の戸惑いが隠れていた。

友彦は、遮らず、否定せず、
 ただ静かに聞いていた。

「佐伯あおいちゃんや、中村りょうくんみたいに……
  あの子たちみたいに、陽子もなってくれたらいいんですけどね」

美咲は、ため息をついた。

その言葉に、友彦は少しだけ首をかしげた。

「お母さん。
  あおいも、りょうも……
  “あの子たちみたい”になったわけじゃないんですよ」

「え……?」

「二人とも、自分の根っこを見つけただけです。
  誰かの形に合わせたんじゃなくて、
  自分の形に戻っただけなんです」

美咲は、返す言葉を失ったように黙った。

その沈黙の間に、
 青の教室の中から、
 子どもたちの声が聞こえてきた。

「ひかりちゃん、これ見て!」
「はるとくん、すごーい!」

陽斗とひかりが、机に向かって笑っている。
 プリントを広げたり、絵を描いたり、
 ときどき立ち上がってはしゃいだり。

その横では、
 高校受験を終えたばかりの別の生徒が、
 タイマーをセットして昼寝をしている。

奥の席では、
 中学生の男の子が、
 散歩から帰ってきたのか、
 水筒を飲みながらストレッチをしている。

美咲は、その光景を見て、
 目を丸くした。

「……あの、これ……勉強、してるんですか?」

「ええ。
  みんな“自分のやり方”でね」

友彦は、さらりと言った。

美咲は、しばらくその場に立ち尽くした。
 子どもたちの自由な動き。
 のびのびとした空気。
 笑顔。
 安心した表情。

――こんな空気、うちにはない。

その事実が、
 美咲の胸に、
 初めて“痛み”として触れた。

陽斗が、ぱっと振り返った。

「おかあさん!
  ここ、すっごく楽しいよ!」

ひかりも続ける。

「ねえ陽斗くんのお母さん、
  ここね、なんかね、
  “ひろい”の!」

美咲は、言葉を失った。

“ひろい”。

その一言が、
 胸の奥にずしんと落ちた。

自分の家は――
 狭いのかもしれない。
 ルールで、管理で、
 正しさで固めて、
 子どもたちの世界を狭くしていたのかもしれない。

美咲は、ゆっくりと息を吸った。

「……なんだか、すごいですね。
  ここは」

友彦は、にこりと笑った。

「ええ。
  ここは、子どもたちの“道”が広がる場所です」

美咲は、その言葉を胸の中で反芻した。

――道が、広がる。

昨日、陽斗が詩を読んで言った言葉が、
 ふと蘇る。

“ひかりちゃんといっしょだと、知らない道でもこわくない”

美咲の胸の奥で、
 何かが、かすかに揺れた。

それは、
 長年固まっていた殻に入った
 最初の小さなヒビだった。


***

帰り際。
 美咲は、友彦に向かって小さく頭を下げた。

「今日は……ありがとうございました。
  なんだか、少し……考えさせられました」

「また、いつでもどうぞ。
  陽子も、陽斗も。
  お母さんも」

美咲は驚いたように目を見開いた。

「わ、私も……?」

「ええ。
  青の教室は、子どもだけの場所じゃありませんから」

美咲は、返事ができなかった。
 ただ、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

その温かさは、
 昨日の陽子が感じたものと、
 どこか似ていた。

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