第7章 願書の前で
十月の風は、夏の匂いを完全に手放し、
乾いた秋の空気をまとっていた。
蒼真は、学校からの帰り道、
胸の奥に重たい石のようなものを抱えていた。
(……願書、どうするんだよ)
サッカー名門校の専願。
それが蒼真の“現実的な道”だった。
でも――
母は納得していなかった。
「蓮くんは関学を受けるのよ。
あなたももっと上を目指しなさい」
その言葉が、
胸の奥に深く刺さっていた。
(俺は……蓮じゃない)
そう言いたいのに、
言えなかった。
***
青の教室に入ると、
蓮が過去問を広げていた。
「蒼真、聞いたで。
お前、専願にするん?」
「……まあな」
「ええやん。
お前、あの学校のサッカー部に入りたかったんやろ?」
「……うん」
蓮は、
蒼真の“揺れ”に気づいていた。
「なあ蒼真。
俺、関学受けるけど……
別に“上”とか“下”とか思ってへんで」
「……そうか?」
「当たり前やん。
道が違うだけやろ」
蓮は、
迷いのない声で言った。
(道が……違うだけ)
その言葉は、
胸の奥に静かに落ちた。
***
英語の時間。
蒼真は、
友彦の作ったプリントを解いていた。
短い文。
でも、
以前よりずっと読みやすい。
(読める……)
胸の奥が、
少しだけ軽くなる。
そのとき、
友彦が静かに声をかけた。
「蒼真。
願書のこと、悩んでるね」
蒼真は、
胸の奥がぎゅっと縮むのを感じた。
「……なんで分かるんですか」
「分かるよ。
蒼真の“影”が、
いつもより揺れてるから」
影――
その言葉に、
胸の奥がふっと揺れた。
「母さんが……
蓮と同じ学校を受けろって言うんです」
「蒼真は、どうしたい?」
「俺は……
サッカーの名門校に行きたい。
でも……
母さんが……」
友彦は、
静かにうなずいた。
「蒼真。
“誰かの道”を歩くとね、
どこかで必ず苦しくなるよ」
「……」
「蒼真の道は、
蒼真が決めていい」
その言葉は、
胸の奥にすっと染み込んだ。
(俺の……道)
友彦は続けた。
「お母さんはね、
“心配”と“期待”が混ざってるんだよ。
でも、
蒼真の人生は蒼真のものだ」
蒼真は、
胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
(俺の人生……俺のもの)
そんな当たり前のことが、
今まで分からなかった。
***
休憩時間。
紗月が、
蒼真の隣に座った。
「蒼真くん……
願書のことで悩んでる?」
「……まあな」
「うん。
そういう顔してる」
紗月は、
蒼真の“影”を見抜いていた。
「ねえ蒼真くん。
わたしね……
蒼真くんが“自分の道”を選んだら、
すごく嬉しいと思う」
「……なんで?」
「だって、
蒼真くんの15歳は、
蒼真くんのものだから」
その言葉は、
胸の奥に静かに落ちた。
(俺の15歳……俺のもの)
紗月は続けた。
「蓮くんは蓮くんの道を行く。
蒼真くんは蒼真くんの道を行く。
それでいいんだよ」
蒼真は、
胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
(俺の道……)
その言葉が、
胸の奥で静かに響いていた。
***
その日の夜。
蒼真は、
母の前に願書を置いた。
「……俺、ここに行きたい」
母は、
しばらく黙っていた。
「蓮くんは関学なのよ」
「俺は……蓮じゃない」
その言葉は、
震えていたけれど、
確かだった。
母は、
ゆっくり息を吐いた。
「……分かったわ。
あなたの道を行きなさい」
蒼真は、
胸の奥がふっと軽くなるのを感じた。
(俺の道……認められた)
その瞬間、
胸の奥の影が少しだけ薄くなった。
***
翌日。
青の教室に入ると、
友彦が静かにうなずいた。
「決めたんだね」
「……はい」
「いいね。
蒼真の空が、
少しひらいたよ」
蒼真は、
胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
(空が……ひらいた)
紗月が、
小さく微笑んだ。
「蒼真くん。
今日の空……すごくきれいだよ」
その言葉は、
秋の風のように胸に落ちた。