政治には金がかかる。
アホな政治家が、
二言目にはいう定番のセリフ。
バカのひとつ覚え。言い訳。
政治には金がかかる。
だからまず金を集めなければ、
と一見論理的に良さげな
まっとうな?説明。アホか!
なんか、ほんと、いかにもって感じで
なんとな〜く納得してしまいそうなフレーズだ。
が、騙されちゃいかん。
金はなくても志があれば
世界を変えることだってできるのに、
たかが一国の政治ができないわけがない。
政治には金がかかる
と思い込んでいるだけ。
そう洗脳されていると言ってもいい。
特にアホな能力のない奴に限って、
志どころかポリシーもないので
右顧左眄して派閥の長や幹部の言いなりだ。
あとはいわゆるチュウチュウ族。
金集めの為に政治を道具にしている奴ら。
かつて田中角栄元総理は
政治をやる為に金を集めていたと
評価した人物がいた。
チュウチュウ族はこの逆。
チュウチュウ族は、ただ自分たちが
チュウチュウしたいたため
言い訳としてこのフレーズを
使い続けているのだ。
チュウチュウ族の他の生態については
こちら⬇︎
実際、今回の都知事選は、
どうだったか。石丸ショック!
石丸伸二氏(41)に
志があったかどうかは知らんが、
Yahooニュースによると
公式ユーチューブチャンネルで、
出馬表明後からわずか1カ月あまりで、
全国から2億強円の献金があり
件数は合計で1万件弱だったと表明。
登録ボランティア人数は、
5000人以上だったらしい。
政党の支援、つまりお金の援助も
受けていないのにもかかわらず
ご存知の結果だった。
これをどう見るか。
ニューメディアを使った新しい選挙手法だ
とするニュース解説者らによる見解もある。
もちろん、それは多分にある。
多分にあるが、しかし金がなくても
政治参加できる。
金がなくても
政治は可能だということを
証拠付けてしまった。
政治には金がかかるを
もう一度考えてみよう。
確かに最終的に多く人を
動かすのにお金は必要だ。
しかし、それは最終的にだ。
始点においては金ではない。思いだ。
視点が違うのだ(シテンのダジャレ気づいた?)。
歴史的にも裏付けられている。
例えばマルクス・レーニン主義。
マルクスの経済理論、思想が発端になり
最恐国と言われていた歴史と伝統ある
ロマノフ王朝ロシア帝国が倒れ、
ソビエト社会主義共和国連邦という
世界初の共産国家ができてしまった。
なんと思い(思考)だけで、
一つの国が消滅し新しい国が
できてしまったのだ。
革命時にレーニン率いる
共産党に金があったか。
まー、それなりにはあっただろう。
しかし、衰えたと言え国王ほどに
金も権力も、そして武力もなかっただろう。
共産主義自体表向き
平等をうたっているくらいだから
金があってもあるとは言い難い。
そんな貧乏の味方イメージを
民衆に植えつけたいレーニンは、
共産党が政権をとったら、
どこかに金(キン)があったら
黄金の便器を作る
みたいなことを言っていたらしい。
いずれにしろ、
金(カネ)じゃあないってことだね。
政治には金がかかる
とバカの一つ覚えで
おうむ返しのように連呼する輩は
私はバカで頭が悪いので
お金がないと何もできましぇ〜ん
と言っているようなもの。
こんな無能な奴に
あなた治世をたくせる?
イヤでしょ。
さて、気を取り直して
もう一つ思いがいかに重要か、
そして、世界を変えるかの事例は
・・・・
宗教だ!
世界三大宗教はどうか。
最初は貧乏、そして苦難の道を
乗り越えて大成するとする方が、
立身出世の成功物語として面白いので
そういう設定になっているのかもしれないが、
キリスト教の教祖イエスは
貧乏な大工の息子から始めている。
イスラム教のことはよく知らんので
マホメットがどんな人だったか知らない。
セールスマンだったの?
まーいいや。あまり興味ないから。
はじめに言っておく。
私は仏教徒なので完全に
仏教をエコひいきする。
さて、お釈迦様は王族出身王子様で
酒池肉林、金なんか腐るほどあっただろうが、
それら全てを捨てて出家。
苦行の末にブッダになられた。
ブッダのお釈迦様に
お金は必要だろうか。
お釈迦様の身なりは羽織る布一枚。
お食事は托鉢によって得られるものだろうから
王子時代とは考えられないほどの
粗末なものだったろう。
托鉢といえば聞こえはいいが
要するに人からものを恵んでもらって
生活している状態。
昔はこういう人々のことを
乞食と呼んでいた。
最近テレビ番組がこの類で
経費削減かなんか知らんけど、
芸能人が街に出て
庶民から食べものなどを恵んでもらい
それを食って
ただ感想を言うだけと
いかにも芸のない
低レベルの番組が増えた。
これじゃー視聴者も逃げるわなー、
ネットの方へ。
かくし芸大会のような、これぞ芸能人!
と感嘆するようなものがなくなって、
どっかその辺の素人でもできるような
番組ばっかりで、
芸能人とは名ばかりで芸のない、
素人と大差ない連中ばっかりになった。
テレビ離れやむなしだね。
さて、話を戻そう。
上記開祖が伝道始めた時お金はあったか?
なかったよね。
宗教流布にお金は必要だったか?
必要なかった。
でも、今、周りの見渡せばどうか。
大寺院に大伽藍、そこらじゅうにあるじゃない。
建設費、不動産など総資産で
一体いくらになるのだろうか?想像もつかない。
でも、振り返ってみるに、開祖の時代、
これほどの建造物を建てる資金があっただろうか。
建てる必要もなかったかもしれないし、
建設資金を集めようと思えばできたかもしれない。
しかし、当初は何もないところから、
ゼロから出発した。あったのは思いだけ。
思い(思考)が現実化したのだ。
これが宗教パワー、思いの力だ!
信者は賃金や高額報酬を
もらっているわけでもないのに
勝手に伝道活動をしている。
実にご苦労なことだ。
これも思いだけで行動している。
”思い”だけで世界は変わるか?ではなく
”思い”が世界は変え、世界を作るのだ。
そこで、まずこのブログを読んで欲しい人に
該当するかどうかチェックしてもらいたい。
そして該当者には以下の思いを伝えたい。
一生お金に苦労しなくなる
驚異の利殖法を応用した
自他共益オーナーズシステムを作る。
情報共有で詐欺被害を減らす。
レベルの高い価値観のあう人と出会い、
価値あるものを創造し世界を変えたい。
このような思想(思い)に賛同できる人、
そして今すぐに行動したいという人は
こちらから⬇︎始めて欲しい。
Do it now by W・クレメントストーン
”思い”が世界は変え、
世界を作った駄目押しの事例
ファンダムの話がこれ⬇️
追記;”音楽の力”について
上記のオリンピック不要論が示す通り
スポーツには何の力もなかった。
先ほどイスラム教のことは
よく知らんと言ったが、
一つだけ知っていることがある。
それは「言葉の力」だ。
イスラム教の聖典コーランは
まさに神から授かったような
美しい言葉で書かれているらしい。
ここで紹介した歴史的事実のほか、
全ての歴史は
誰かが、その思いを言葉で
誰かに伝え、
その言葉を受け取った誰かが、
行動することによって紡がれている。
このブログも主張をすべて言葉で
あなたに伝えようとしている。
このようにダラダラと思いを
文章で伝える方法もあるが
長文読むの辛いでしょ。
特にこのブログのように長々と
わけのわからんことを言い聞かされて
とても疲れたでしょ。
本当こんなつまんねー文章を
最後までお読みいただき痛み入る。
by 家政婦のミタゾノ
もうちょっとだから頑張ってくださいね。
で、文章だとこのように宿命的?
構造的?に読者に理解してもらおうと
思うあまり説明が長くなってしまう。
ところが、俳句、短歌、詩、唄などは
余計なところをそぎ落とし、
言いたいことの
核となる部分だけを
”ズッバ!”っと
ダイレクトに表現している。
俳句なんてたった17音で、
作者の言いたいことが
伝わるのだからすごい。
これはとりもなおさず
日本語と日本人の感性の賜物
と言っていいだろう。
俳句もそうだと思うが
歌には曲調があるよね、多分。
すなわち、俳句などには音楽性がある。
音楽そのものといってもいいかもしれない。
そこで唄についてだが、
世の中にふざけた歌詞のものもある。
しかし、ふざけているように見せかけた
戦術、戦略であったりする場合もある。
多分こちらの方が多いだろう。
例えば、水曜日のカンパネラ
一休さんを最初に聞いた時は、
もう笑うしかなかった。
しかし、何度か聞いているうちに
まさに阿鼻叫喚。そのまんま、その通り、
おっしゃる通りの内容だと悟った。
他にはサザンオールスターズ。
勝手にシンドバットなんて曲でデビュー。
「こいつら絶対一発屋だわ」
って言われていて、また
誰もがそう思っていたようだ。
ところが、いとしのエリーが大ヒット。
音楽業界におけるサザンの地位を
不動のものにした。
都市伝説では勝手にシンドバットは、
メジャーデビューための踏み台で
多くの人にサザンの存在を知らしめ、
人々が認知したところで
いとしのエリーを持ってきた、
つまり、初めから本命は
いとしのエリーで、すべては
いとしのエリーを出すための
戦略だったというのである。
まー、いずれにしろ音楽の力、
侮るべからずだ。
さて、このように
ふざけているかのような歌詞を聴いて、
ふざけた唄を歌うなと
悪口を言う人間を
どう評価するかであるが、
ふざけていると単細胞的に
判断することしかできない
レベルの低い人間か、
その歌詞や曲に何らかの意図を感じ取れる
レベルの高い人間かの違いなのである。
つまり、その歌詞を受け取った側の問題。
もっとわかりやすく言えば、感性の問題だ。
唄に込めた魂の叫び、メッセージを
感じ取るセンスがあるかないか、ただそれだけだ。
したがって、センスのない奴は
そもそも相手にする必要がない。
だって、センス(才能)なしなんだから。
これはどうしようもないでしょ。
梵天勧請の例を極端に表現すれば、
梵天は、お釈迦様に
「わからん奴には、なんぼ言ってもわからん。
わかる奴だけ相手にすればいい」と言っている。
まさに馬の耳に念仏。なので、
音楽でメッセージを伝えたいと思う人は
理解力のあるレベルの高い人間だけが
メッセージを受け取ってくれればいい
感受性のある人、センスのある人だけ
相手にしようと仏陀の境地になればよい。
音楽は言葉の力の一つ。
よって、音楽には力がある。
だから音楽フェスや
チャリティーなどによる
世界貢献は半端ねーでしょ。
オリンピックなんぞとは雲泥の差だ。
あなたも音楽の力を使って
誰かにメッセージを送ってみては?
そのメッセージを受け取った人の
人生革(変)ちゃうかもよ。
実際名曲を聴いて
人生変わった人の話よく聞くよね。
あなたもその一人じゃない?
「人生が変わる=世界が変わる」だ。
やっぱりだから、
”思い”だけで世界は変わるんだよ。
あなたも何かのメッセージを発信してみない?
表紙画像;Dean MoriartyによるPixabayからの画像