※ちょっぴりしめっぽい内容なので、避けたい方はスルーしてくださいね※
今日はブログを書く予定もなかったのですが・・・。
今朝、テレビでたまたま知りました。
7/1は「童謡の日」なんですってね。そんな日があるんだ。
ふと、この曲が浮かびました。
♪ある日 パパと二人で 語りあったさ♪
今から遡る事20数年前。
結婚式を間近に控えた私に、父が改まって私に話しかけてきました。
「〇〇ちゃん(私の事)が(姉妹の中で)子供の頃一番可愛かった、本当に可愛かった。」
「結婚式はお金をケチらずに派手にやりなさい。」
~以下、沖縄の結婚式を引き合いに「いかに盛大で、ひたすら宴会芸が催されめでたく楽しく祝うものか」を長々と力説~
「(今後人付き合いにおいて)義理を欠いちゃいけないよ。人との縁を大切にね。」
「披露宴ではお友達のジャズバンドに演奏してもらうそうだけど、一曲リクエストしていいかな?『You are my sunshine』とか、どう?」
珍しく長話をしてきたので「おや?」と思ったものです。
元々父との仲は良かったです。
ただ、3ラリー以上の会話をした事がほとんどなかった気がします。
私は3姉妹の、父は5人兄弟の中間子だった事もあり、お互い話さなくても伝わる何かを感じていたように思います。
叱られた事も人生で通算で5回あったかどうか、、
理由も「自分や人の安全にかかわる事」等、納得出来る事のみでした。
「虫の居所が悪くて八つ当たりで怒る」事は一切なかった。
反抗期らしきものも特になかった。話題がないから特に話さないかな、程度。
喧嘩をした事ない親子でしたが、私が息子を出産した数年後に実家に立ち寄った時の事。珍しくぶつかり合いました。
きっかけは些細な事で。
まだ幼い(2才頃?)息子が危険な事をしようとしたから私が止めた。
突然「子供にも自分の意志があるんだ!」と父が激高。
今まで、そんな怒り方しなかったのにな?
人生初、気まずい感じになりました。
(後日母に聞いたら、その後えらく反省してたとの事)
それから1~2か月程して。
7月某日、気象庁から梅雨明け発表があった暑い暑い晴天の日。
その日は朝から夫と息子と3人で少し大きな公園に出かける予定で。
玄関で靴を履こうと自分の靴ひもを結んでいた、その瞬間。
ふと頭に浮かびました。
「父と仲直りしよう。今度会ったら、そうしよう。」
到着した公園で私の携帯に知らせが来た時間から逆算すると、ちょうどその頃です。
父は実家にて脳幹出血で突然倒れ、救急搬送されていました。
そのまま意識は戻らず、四日後には帰らぬ人となりました。
身も蓋もない事実で、人はもれなく全員亡くなります。
だからそれは仕方ないのだけれど、最後に一言も話せなかった。
それが残念でなりませんでした。
いつか私の結婚式で演奏して欲しいとリクエストされた曲
『You are my sunshine』
結婚式前に急遽友人達に伝えて演奏準備をしてもらっていたのですが、当日に会場との段取りが上手くいかず、その曲は残念ながらお披露目とはなりませんでした。
姉に相談しました。
私「葬儀でこの曲、流してくれないかな?」
姉「ゴメンだけど、どうしても流したいものがあるから」
告別式にて。棺に皆で花を入れ、最後の挨拶をする時。
会場に映像と音声が映し出される。
姉の子供の保育園の敬老会イベントで、マイクを持って歌っている父の姿。
(園児と祖父母のふれあい会のようなもの)
歌声が流れる。
「♪私の~お墓の~前で~ 泣かないで下さい~」
「千の風になって」歌唱by故人本人。(しかもなんか上手い)
・・・どこから突っ込んだらいいんだろう。
なんで、保育園のイベントでその曲のチョイス??
いつか、自分がイザとなった時の為に準備していたのかな?
だとしたら、どこまで余興好きなワケよ。。
なんかいろいろ、反則でしょ・・・。
園児や、他の保護者・祖父母・園のスタッフさん方は当時どんなリアクションだったのだろう?
それは後になって湧いた疑問だけど、仮にその瞬間に思ったとしても映像を確かめようがなかった。
視界は涙でいっぱいだったから。
生前、思えば父は良く歌っていました。
仕事帰り、家に着く頃には「ラララ~」という声が聴こえてきました。
亡くなる数年前からは合唱に参加したり、ジャズボーカルを習いだして
一回だけ私とジャズバーでセッションしたこともあったね。
そして「伝説の奇行?」も数知れず。。
●娘達の授業参観では、我が子達の授業はサッと見て、全然知らんクラスの理科の実験観てたり、同じく全然知らんクラスの音楽の授業で一緒に歌ったり
(かなり怪しい人だったに違いない)
●珍しく街に雪が積もると、嬉々として近所の道をスキーで滑り
(ご近所さん達ビックリ( ゚Д゚))※地元は雪国ではありません※
●人にプレゼントするのが大好きで(詳しく書くと長くなるので割愛)、趣味を楽しみ、友人と会う時間、美味しいものを食べる時間を大切にしてて
(この文面だと特に奇行ではないですが、、)
●なじみの宅急便のお兄さんにはチップをあげて(欧米か!)
(父が亡くなったと知った時そのお兄さん本当に残念がっていたので、ただ「お小遣いをくれる人」だけではない温かい関係があったのでしょう)
●倒れたその日は(私達の)母の誕生日
(プレゼントは事前に渡してあったらしい。ひまわりの花束。)
楽しい思い出、ここには書けないエピソード、他にも沢山あるけどこの辺にしとくね。
多くの人の胸に数々の伝説と愛を残して、いい人生だったね。
♪いつか 僕も 子供と 語りあうだろう(歌詞⑦番より)
月日が経つのは早いもので、もうすぐ巣立つであろう年齢の息子と
私も少し「グリーングリーン」してみました。
私「おじいちゃんの事を覚えている?当時物心ついてないだろうし、数えるほどしか会ってないけど。一緒に写ってる写真も少ないし。」
息子「一つだけ記憶がある。僕の靴のつま先の上を触って、ここで靴のサイズが合ってるか確かめるといいんだよ、って。」
「大柄で前髪が薄めだったから、間違いないと思うんだけど。。」
ところがその時の場所や服装等の詳しいシチュエーションを聞くと、どうにもそんな場面があったか定かでない。
息子いわく、いろいろな記憶混ざっているのかもしれない。
同じ部屋に他の人は数人いたが、近くには誰もいなく二人きりだった、と。
母親の私も近くにいなかった?まだ手が離せない年齢だったけれど?
私「そういえばアンタ、おじいちゃんが亡くなった翌日に寝室の天井指さして『あそこにいるよ』って言ったんだよ!怖かった!もしやアンタのその記憶も・・・」
どことなく亡き父と気質の似ている息子は言った。
「もしかしたらそうかもね。まあ、来てくれたならいい事なんじゃない?」
個人的な話を長々とすみません。
お読み下さりありがとうました<m(__)m>
ちゃば☘️茶葉