「自分教」を生きるということ

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先日誕生日を迎え、37歳になりました。

後40まで3年・・・普段年齢は意識しない方ですが、
最近は少しずつ最期について考えるようになってきました。

一生の間にやりたいことはたくさんありますが、
特に長生きしたい願望はない。

今十分幸せで、心身ともに20代の時よりも健康体!

この恵まれた環境をできる限り維持したい。

でも、僕自身だけではどうにもできないこともある。

バイトも含めると、もうすぐ社会人歴25年。

自分も含めて人間社会の汚い部分、
無力で弱い部分を痛感させられて久しいこの頃である。

思春期〜コロナ騒動の前くらいまでは、大勢で集まって遊んだり、
周囲から格好よく見られたかったが、
最近は「自分教」を意識するようになった。

世間では新興宗教や特定の思想・主張を唱える組織や企業と関わったことで、
災難や犯罪にまで巻き込まれてしまう個人や団体が後を立たない。

そもそも自身の現状を他者や外的要因に変えてもらうこと、
それらのせいにする他力本願、他責的な考え方が良くない。

何かを盲信したり、依存したり、
自身の経験や伝統、歴史などに由来する型に囚われず、
物事を客観的に見た上で、
他者や常識は参考にしつつも最後は自分の五感で行動選択すること。

精神的にも、経済的にも自立して主体的に心の平穏、
幸せを維持していきたい。

僕は自分が特別な存在だとも思わないし、
自己肯定感や自信が際立って高い訳ではあるまい。

それでも消去法的、合理的に考えて、
自分の現状を自由に変えたり調整できるのは、
自分しかいない。

そりゃあ余程心身の免疫力が下がった時に西洋医学の対症療法を受けたり、
一生に一度あるかないかの不幸や災難に巻き込まれた時に
神頼みすることはあるかも知れない。

だけど普段は、自分自身も他者も自然も過信しない程度に信頼し、
心身の免疫力を鍛え維持していけるように、
引き続き時間・資金・労力を投資していきたい。

本来人類は、属性や地域や国、
バックグラウンドなど超えた不特定多数が価値観を共有し、
文化や文明を創ったり成長させたりできる存在だろう。

しかし、今日の世界的に変な社会情勢を見ていると、
神様や政治家、有名人、大企業などの知名度があり目立つ存在には
到底期待できない。

個人がしっかりと軸を持ち、なるべく自分自身ないしは、
少人数やローカルなコミュニティで衣食住含む生活に必要なやり取りもし、
地味ながらも平凡な幸せを維持していくのが
今の時世においては妥当である。

便利だが忙しく余裕のない資本主義社会の価値観に、
僕らは例外なく程度の差こそあれ洗脳されている。

なので大きな存在、外的要因に依存したり、
またそれを新たに創ろうとしても、
必ずしも建設的な何かを創れるとは限らない。

僕も他者を批判できませんが、人類全体の質が落ちているため、
信頼できる相手を上手に選択しないといけない。

その上で、信頼できる一人目として、まずは自分自身を選びたい。
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