話せなくても、書けばいい。― 手紙の相談をはじめた理由

話せなくても、書けばいい。― 手紙の相談をはじめた理由

記事
コラム
はじめまして。「たまゆら」と申します。

子どもの不登校を経験した親です。
このたび、不登校のお子さんの親御さんのお気持ちを、
手紙でお預かりするサービスをはじめました。

一本目のブログとして、なぜ「手紙」なのか、
その理由を書いておこうと思います。

子どもが学校に行かなくなったころ、
私には話せる相手がいませんでした。

知人には話せませんでした。心配をかけたくないのと、
どう受け取られるかわからない怖さがありました。

ママ友とは、だんだんと離れていきました。
学校の話題が中心の場所に、いる理由がなくなっていったからです。

変なプライドのようなものがあったと思います。
自分が悪い母親のようなレッテルをつけられるのではないかという言葉に出せないモヤモヤを抱えていました。

相談の窓口にも行きました。話を聞いてはもらえます。
でも、ただ話して終わる。解決策を示されたこともありましたが、
私の子どもの中身を見ていない解決策は、
私の子どもには合いませんでした。

相談したはずなのに、帰り道でよけいに疲れている。
そんなことが何度もありました。

いまになって思うのは、あのころの私に必要だったのは、
上手な助言ではなかったということです。

まず、最後まで聞いてほしかった。
途中で遮られずに、順番がばらばらのまま、
愚痴のかたちのまま、全部を出させてほしかった。
そして、出したものを、ちゃんと読んでほしかった。

それだけのことが、どこにもありませんでした。
話すことには、間に合わせの速さが要ります。
相手の反応を見ながら、その場で言葉を選ばなくてはいけません。

それが、あのころの私にはできませんでした。

でも、書くことは違います。

深夜でも、早朝でも、自分のペースで、
書けるときに書ける分だけ。途中でやめて、また続きから書ける。
誰にも遮られない。

だから、話すかわりに書ける場所をつくりました。

お預かりした文章は、時間をかけて読みます。
すぐに返事が出せる速さより、
ちゃんと読んだと言える深さを選びたいので、
お返事には最大で7日いただいています。

解決策の提示はしません。
そのかわり、じっくり読むなかで見えてきた「
こういう見方もできるかもしれません」という別の角度を、
お手紙に書いてお返しします。

同じ出来事も、角度を変えると違って見えることがあります。
私自身、誰も答えをくれないなかで、
子どものもっと奥を見ようとし続けた日々に、それを知りました。

その日々から、少し時間が経ちました。

この間、わが子のことだけでなく、
学校に行かない子どもたちと、その親御さんたちの姿を、
いくつも見てきました。

学校に戻った子がいます。
戻らないまま、別の場所で自分の道を歩き出した子がいます。

どちらが正解だったのか、私にはいまも言えません。
言えるのは、道筋は本当に、一人ひとり違っていた、ということだけです。

だから私は、よそのお子さんの道筋を、外から示すことをしません。

それから、正直に書いておきます。
私自身、いまも揺れ動く日があります。
大丈夫だと思える日と、そうでない日があります。

不登校の経験を「乗り越えた人」として書いているのではなく、
同じ道のすこし先を、いまも歩いている者として書いています。

だからこそ、いただいたお手紙を、他人事として読むことができません。

うまくまとめようとしなくて大丈夫です。
誰にも言えなかったことを、ただ吐き出す場所として使っていただいてもかまいません。

書けるときに、書ける分だけ。お待ちしています。
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