芸能人がなくなった時もそうですが、
面識がある人がなくなると、
人は理由を知りたくなります。
体の病気でもそうですが、
心の病気で死を選ばれたような場合は、
理由がわかれば何とかなったのではないか、
といった気持ちが働くからなお知りたいのではないかと思います。
しかし、自分で死を選ばれたような場合は、
特定の理由だけが原因である事はむしろ少ないのです。
失恋でなくなった、
パワハラでなくなった、と言われる場合も、
その奥には、それに対応する力が枯渇しているような状況があります。
病気と診断されるか、
病気とまでは言えないと言われるかは別にしても、
いわゆる、うつ状態です。
うつの時は、普段なら、苦笑いですませられるような事に
死にたくなります。
元気な時であれば、程よく反省したり、
半分は聞き流したりできる、
口うるさい上司の小言が、
最後の一押しになって、亡くなってしまう事もあるのです。
そんな時に、上司をパワハラといって問題にするのは、
上司にとって酷な話であるだけではなく、
なくなった人を理解する事にも繋がりません。
もし亡くなった原因を本当に知ろうとするなら、
仕事の疲労ばかりではなく、
プライベート、
時には楽しい事も含んだ生活の負荷が、
その方を疲弊させていた事に目をむけなければなりません。
通常の関係の中では
いろいろあったんだろうな、と自分を納得させる方が
原因探しよりプラスだと思います。
原因追及をしたい時は、くれぐれも、
特定の原因らしい出来事にとらわれずに、
その方にかかった心身の負担全体に目を向けていただきたい所です。