対面占いで、占いをする前に、ざっと説明をするのだが、「タロット」は、誰でも知っているが、「易」を知っている人というのは、ついぞ見かけない。
私に占い師になる事を勧めてくれたお師匠(タロットマスター)曰く、
「日本で、易は、絶滅危惧種よ。」
と言ってたっけ…。
聞くところによれば、台湾では占いと言えば、易のようで、隆盛との事だ。
日本でも、30年ぐらい前は、易者が、たまに、辻で寒い中座ってたりしたものだが、とんと、見かけなくなった。
そんな光景は、ドラマの時代劇で、たまに、出てくるだけかもしれない。
「易」が現在の形になったのは、諸説ある。
一般的には、易というと、一種類だけしかないと思われがちだが、実は、派生したものが、色々ある
「断易」「梅花心易」「イーチンタロット」などなど。
私が使ってるのは、元祖の「周易」である。
他のものは、後世の人が他の占法をミックスしたり、西洋に渡って、魔改造したものだ。
「周易」は、「易経」ともいい、儒教の経典、四書五経のうちのひとつだ。
ちなみに、焚書坑儒で、四書五経は燃やされるのだが、秦の始皇帝も、占いということで、「易経」は、燃やさなかった。
多分、始皇帝も易で占っていたに違いない。
作者は、伏羲と周の文王と孔子の共著と言われているが、実際には、後世の人が、かなり加筆訂正しているようではある。
2千年も経っているので、無理もない。
また、「易」は、道教の経典でもある。
道教は、老子の教えであり、簡単に言えば、
「この世界は相対的であり、相対を絶対とすると真理からは遠のく」
と説く。
老子によれば、好不調・好不遇・有無能にさえ序列はない。
例えば、体が不自由だったとしても、戦争の徴兵にとられる事はないから考えようによっては幸せである。
「禍福は糾える縄の如し」
一方で儒教は、「仁・義・礼・智・信」を掲げ、男女7歳にもなれば、席を隣にしてはならないとした。
道教のような天然自然の自由さが欠けているといえば、欠けているし、堅苦しいのは間違いない。
晩年、孔子は、易に傾倒し、閉じている紐(昔の本は竹を紐でまとめたもの。)が3回切れるほど、読み込んだとされる。
孔子自身も、多分、自分の言説が堅苦しく、相対さが欠けていると感じていたのかなとは思う。
更に、ひたすら旅の人生で、広大な中国大陸を彷徨、さまよっていた。
この時の有様は、易の「火山旅」に良く書かれている。
彼の言説は、彼が生きた春秋戦国時代、弱肉強食の時代には、フィットせず、各国の王は、もてなしはするが召し抱えようとはせず、遂に、仕官する事はできず、失意のまま、亡くなったようだ。
個人的には、「易経」は、孔子が書いたとされるし、書いたであろう部分も散見されるが、道教的な考え方だと思う。
「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず」
という一言に、よく現れていると思う。