【コミュニケーション・スキル⑳】メンターは何人いてもいい
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②人から助けてもらわないで成功した人はいない
ベンチャー・ビジネスの成功者などは典型ですが、大きな成功をした人、あるいは大失敗から大逆転した人などは必ずといっていいほど人から助けてもらっています。ネット・ビジネスをやっている人なら億単位で金を持っている人はごろごろいますし、横のつながりもあるので、紹介の紹介でビジネスを立ち上げることも多く、何から何まで自分の力で切り開く人は皆無と言ってもいいかもしれません。ある23歳の女性は大学受験の真っ最中の1月にビジネス・パートナーとネット・ビジネスを立ち上げ、最初の1カ月で粗利300万円を稼いでいます。彼女によれば、これぐらいでは全然ダメで、パートナーとの目標はそれぞれが1億円プレーヤーになることだそうです。実際、どんなビジネスでも何だかんだと教えてもらえる人、助けててもらえる人は、独立独歩の人よりもはるかに恵まれます。難関大学受験や難関資格試験でも、独学する人より、専門予備校でいろいろと教えてもらう人の方が最短距離を行くことが出来るのは当然のこととも言えます。
実に「大学受験までは実力だが、そこから先は運である」とされ、大学受験も「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるように、最後は「運」です。社会においても、実力があるからといって必ずしも成功するわけではないのです。では、その「運」はどこから来るかというと、それは「縁」(人間関係)からで、それも横でも下でもなく、上からなのです。すなわち、要は「いかに上の人からかわいがられるか」ということであり、「しょうがないな、オレが尻ぬぐいしてやるから、またやってみろ!」なんて言いいながら、引き立ててくれる人物がいるかどうかなのです。実際、高校を中退しながら、20代前半で表参道などで4つの店舗の店長として店を切り盛りし、早稲田・慶應の学生をバイトとしてこき使いながら、年収700万円を稼ぐ人がいましたが、彼がその立場に立てたのは早稲田大学政経学部を出て、50社を立ち上げた人に引き立ててもらったからでした。
ちなみに、ヨーロッパ統合にも匹敵する古代における中国統一を実現した秦が滅んだ後、項羽と劉邦の2人が天下の覇権を争ったことは有名ですが、項羽は西方の大国だった秦に対抗し得る南方の大国楚の名門出身で、誰もかなわないほど能力に秀でた将軍項羽に対して、劉邦は飲み屋のおばあさんにツケで飲ませてもらっているような飲んだくれのオヤジでした。ところが、天下を取ったのは劉邦であり、漢の高祖として、歴代皇帝がモデルとして仰ぐ人物となるのです。
実は劉邦の下には、「漢の三傑」と呼ばれる張良・韓信・蕭何をはじめ、劉邦をはるかにしのぐ人材が多数いました。軍師張良は中国最大の軍師太公望呂尚の流れを汲む者で、後の諸葛亮孔明も憧れた人物です。将軍韓信は項羽に匹敵する軍事力を持ち、主君である劉邦はせいぜい10万人の兵の将にすぎないが、自分は「多々ますます弁ず」(多ければ多いほどよい。数十万人だろうが、100万人だろうが動かして見せる)と豪語した人物です。ちなみに日本でも最も軍事動員した人物は小田原攻めで20万人を動かした豊臣秀吉でした。これに対して、ムッとした劉邦は「じゃあ、なぜお前はわしの下にいるんじゃ?」と聞くと、韓信は「私は兵の将たる器ですが、陛下は将の将たる器なのです」と答えたと言います。後に宰相となる蕭何は劉邦を見出したことでも知られていますが、劉邦が秦の都咸陽を占領した時には他の者が宝物殿などに殺到する中、ただ一人、秦の歴史書や法律、各国の人口記録などが保管されている文書殿に走り、項羽による破壊の前に全て持ち帰ることに成功し、これが漢王朝の基礎作りに役立ったと言われています。
この項羽と劉邦のエピソードはビジネスの現場ではよく知られており、実績を出す上司はたいてい自分以上の能力を持った部下を集めることに腐心し、彼らが働きやすい環境づくりに心を砕き、自分のちっぽけな自慢などどうでもいいと思っているものです。