②「さみしいから」が動機だとお互いをダメにするのは時間の問題
「恋愛」も「結婚」も「人間関係」である以上、その「結果」によってその「関係」が2人にとってプラスであったか、マイナスであったか、知ることが出来ます。特に「結婚」の場合、「結果」とは「家庭」であり、また「子供」であると言えるでしょう。さらに「子々孫々の繁栄」という点で見るならば、幕末の洋学者箕作阮甫(みつくりげんぽ)と福沢諭吉が対照的なケースと言えましょう。
箕作阮甫は弟子の中から最も優秀な者達を養子にして、3人の娘達と結婚させ、3代目・4代目に箕作麟祥・菊池大麓・箕作佳吉・呉秀三・呉茂一ら阮甫をはるかにしのぐ人材を輩出し、大学者になった者、大学者に嫁いだ者、数十人に及びました。まさに「学者の家系」の面目躍如たるものがあります。これに対して、福沢諭吉は実力や名声は当代随一でありましたが、惜しむらくは彼は「一代の傑物」と言うべきで、その子孫から彼をしのぐ人物が出たかと言うと、そうは言えないところが悲しいところです。「結婚」の「結果」というものは、長いスパンで見る必要もありそうですね。
さて、ここで決定的なのは「動機」です。「動機」が時間と共に結果するわけですから、当たり前と言えば当たり前ですが、「さみしいから」が動機で彼女・彼氏が欲しいなら、お互いの成長どころか、無意識的には「自分のために相手を犠牲にする」という心理構造になります。この関係が時間と共にどうなっていくか、難しく考えなくても簡単に分かるところです。
ところで、「彼女いない歴3年、もうイヤダー」とか「彼氏、欲しーよー。彼氏がいる友達がうらやましい」とかいう声は巷でよく聞かれますが、いわゆる「目的達成の法則」に従って、「彼女、彼女・・・」「彼氏、彼氏・・・」と潜在意識に命令を下し、四六時中そのことばかり考えていればいいのでしょうか?もしもそうなら、男性は接する女性に対して「彼女になる可能性があるかないか」という尺度でしか見えなくなってしまいますし、女性も「彼氏になる可能性があるかないか」と真先にチェックをすることになりかねません。これだと人間関係のハバが広がらなくなってしまうのです。
ここでシミュレーションですが、あなたが女性であるとして、目の前に「イケメンでかっこいい、女性にはもてるけど男同士の友達はあまりいないみたい」という男性と、「顔はじゃがいも、でも友達は多くて、男性からも女性から好かれているし、お年寄りや子供からもよく声をかけられる」男性がいたとしたら、どちらがいいですか?「人間関係論」から言えば文句なく後者がいいとなります(じゃがいもでも!)。後者の男性には人間関係のハバがあり、いろいろな情的訓練を受けているようなものなので、少々のことがあっても吸収してしまうことでしょう。前者の男性には情のハバがあまりなく、ヘタをするとストーカーになる可能性だってあります。
あるいはあなたが男性であるとして、「かわいい女の子で、友達はそこそこいるけれど、男性との交流はほとんどない人」と「明るいキャラで、それほど美人とも言えないけど、みんなの人気者」がいるとしたら、どちらがいいですか?これも前者なら男性との情的関係を築く訓練が乏しいので、パートナーとの間で初めて本格的にそれに取り組むことになります。「いきなり実戦」に突っ込むのもどうでしょうか。まず基本練習やミニゲームを重ねてから試合に臨むのが、スポーツの基本ですよね。うまくいけばいいのですが、うまく間合いがつかめなければ「依存」感情が強まる可能性もあるでしょう。
ただ、いずれにしても「関係性」というものは「絶対的」ではなく、「相対的」なものですから、「補完関係」としてうまく機能させることが一番重要です。そして、この「補完関係」をうまく見抜いていくのが「人間関係におけるコーディネーション」であり、「究極のコーディネーション」とも言えます。ユング心理家として著名な河合隼雄さんも『家族関係を考える』(講談社現代新書、この本は読むといいですよ)の中で、「夫婦はその共通部分を関係の維持のために必要とし、対立する部分をその発展のために必要としているのである」と述べていますが、けだし名言です。
ところで、「結婚」後、夫婦関係が最も大きく変わるのは「出産」後です。子供が生れて、「夫婦」は「父母」の位置・役割共にシフトするわけですから、劇的変化と言ってもいいでしょう。したがって、「離婚」する場合も子育てをめぐって亀裂が拡大したケースが実に多く見られます。生活は自分の自由にならず、子供を中心に犠牲を強いられるわけですから、決して甘いものではありません。未体験ゾーンに突入し、状況の激変を迎えたわけですから、準備不足や意識変革の失敗で「適応」が出来なかったとしても、ある意味では一定の割合で起こる、避けられない現象と言ってもいいかもしれません。これに対して、「成田離婚」などはあまりにも「見る目」がなかったというケースと言えそうです。
そもそも、「結婚」はたいてい「相手が好きだから」という理由で踏み切りますから、それまで付き合ってきた過去数年がその「決断の根拠」となります。ところが、実際には、「家庭」を共に営むということになれば、これはほとんど「共同経営者」に近い感覚になってきます。企業経営と同じように、家庭でも「収入」と「支出」のバランスを「家計」という枠組みの中でやりくりし、「子供」という新たなメンバーが加わればこれを育て、教育していくわけで、経営者が無能であれば「家庭経営」は破綻します。企業を立ち上げる時に共同経営者として「仲のいい友達」「好きなヤツ」を選ぶ人がどこにいるでしょうか?
それなのに、「家庭」の出発点たる「結婚」においては、「未来」を「決断の根拠」とせず、「愛があれば何とかなるの」と簡単に言い切ってしまう人が実に多いのです。実際には「愛」も「能力」も必要なのが「家庭」というものなのです。