③「ある一言」が出た瞬間、「友達」は「特別な関係」に変わる
友人同士で、「お前とオレとは親友だよな」「そうだな」とか「私達親友よね」「そうよ」とか言えば、親友になるのでしょうか。こういうセリフは小学生でも普通に言っていますが、そうではありません。2人の関係がある段階に達した時、客観的に明らかに別な段階に入った時、それと分かる「印」があるのです。これは相手の口から出る「言葉」で、「これは今まで誰にも言ったことがないんだけど」という一言です。
この前段階としてまず相手の全てを理解する必要があります。具体的にはずーっと相手のことを聞いていくことですね。大体、いろいろ悩みを抱えていたり、秀でた能力があったり、希望があったり、挫折があったり、こういう性格だったりという今の「自分」という存在は、いきなりこうなっているのではなくて、「結果」としてこうなっているのであって、その「原因」「構成要素」として「人生経験」「家庭環境」「遺伝要因」の3つがあるのです。そこで、遡っていける限り遡って、この3つを尋ねていくわけです。
まず「人生経験」においては、特に今の自分を形作る上で決定的とも言う「原体験」がありますが、それはそんなに数が多いものでもなく、たいてい1~2個、多い人でもせいぜい3~4個といったところです。病気や怪我、失恋、受験の失敗といったマイナス体験もあれば、スポーツでの勝利や恋愛の成就、試験合格といったプラス体験もあるでしょう。また、「家庭環境」でも親が離婚・再婚していたり、兄弟姉妹間の比較が苦痛で傷になっていたり、貧乏だったとか、逆にお金はなくとも楽しかったとかいろいろあるでしょう。さらに「遺伝要因」まで遡れば、「ガンの家系」だとか、「ご先祖さまは平家だった」とか出てくるかもしれません。
一見、膨大なようですが、実はそれほどでもありません。自分でこれをやれば「自己分析」となり、普通はノートに書き留めますから「自分ノートづくり」になるわけですが、何ヶ月も何百ページも費やすような作業ではありません。そもそも徹底的に試みたことのある人はそういません。これはちょっと悲しいことですが、1~2週間でも10数ページでも出来てしまいます。
そして、こういう「自分史」の中には「言うに言えない部分」(自分でも触れたくない、見たくない部分)というものが誰にでもあるものです。それが、ずーっと自分の話を黙って聞いてくれている人に対して、「自分のことをここまで理解してくれた。でも・・・」とか思いつつ、信頼関係がある段階にまで達した時、ふとこの一言「これは今まで誰にも言ったことがないんだけど」が出てくるのです。
これは強制して出てくる言葉ではなく、相手を信じて自分を委ねた時に初めて生れる言葉なのです。この時に「親しい友人」は「特別な関係」となります。それは「手に入れようと目指すもの」というよりは、「相手を理解しようと一生懸命になり、その痛み、悲しみを共感、共有した時、結果として生れてくる関係」と言ったらいいかもしれません。
大体、「人間は喜びの極致と悲しみの極致において友人を欲する」と言いますが、誰でも「喜びを共有する」友人にはなりたいものの、「悲しみを共有する」友人にはなかなかなれないものです。だから、これは人種も国境も宗教も超える関係となり得るのです。
「世界は一家、人類は兄弟姉妹」という言葉がありますが、これは単なるスローガンといったものではなく、実在する「絆」「人間関係」なのです。そして、この絆のあることを実感した時、「人間不信」というものはなくなります。