論文が苦手な人は「組み立て」ができていないことがほとんどなので、「三段論理」構成(序論・本論・結論。いわゆる「起承転結」はこの応用に過ぎない)を使った「組み立て」に習熟することが出来れば、問題の80%は解決したようなものです。これは最初に「テーマ」に関して思いつくこと(素材としては「経験」「知識」「考え」の3つのみ)を箇条書きに10でも20でも書き上げ(優劣や順序は一切つけないのがコツである)、最初に論文の柱となる「意見」「考え」を決めた上で、その「具体例」「論拠」を2~3つに絞り(そもそも論文で必要なのは膨らませたり、引き伸ばすことではなく、削ったり、圧縮することです。これは「薄めた牛乳はまずくて飲めない」のと一緒です)、さらに「導入表現」(「私は特にこの点について述べてみたい」といったテーマ限定、「私はこのテーマに関してこういう意見を持っている」といった結論先行提示等が基本です。最初に論理の流れや結論を言うと、実に分かりやすくなります)と「しめくくり表現」(最結論+展望・抱負が基本形です。最結論だけだとトーンが下がるので、ここで如何にトーンを上げて最後のインパクトを高めるかが重要になります。したがって、第三者的・評論家的意見で締めくくるよりも、「自分の問題」として捉えて展望・抱負を述べた方が良いでしょう)を定めるという作業です。制限時間が1時間だとしたら、15~20分を使ってでもこの「組み立て」作業をしなければなりません。なぜなら、これが出来れば、後は「文章表記のルール」に従って書くだけだからです。
【評論に学ぶ導入の技術】
常識の確認から異論(反論ではなく)を述べる時、新しい切り口の提示となります。
①「ヘビをあらわすのに二百以上、ライオンをあらわすのに五百以上、そして鷹(たか)をあらわすのに千以上の同義語がアラビア語にはあるという。ちょっと信じがたい語数だが、それだけアラビア人はこうした生物に注意を払ってきたのであろう。
おなじ対象にいくつもの言葉があるということは、それだけその対象についての関心の度合いが高いということである。アラビア人にかぎらず、遊牧民族の言語には羊や馬や駱駝(らくだ)など、自分たちの生活にきわめて関係の深い家畜に対して数多くの名詞が与えられている。たとえばモンゴル人はおなじ駱駝であっても、それを細かく分けて、牡(おす)の去勢していない駱駝をボーラ、五歳以上の去勢した牡の駱駝をアタ、五歳以上の牝(めす)の駱駝をインゲ、一歳の仔(こ)駱駝をボドゴ、野生の駱駝をハブトガイ、そして駱駝を総称してテメーと呼ぶという。(小沢重男『素顔のモンゴル』)こうした言葉の多様さは、そのものに対する関心度の指標といってもいいのだ。
さて、このような観点から、あらためてわが日本語をかえりみると、ただちに気付くのが「わたし」という一人称の多様さである。日本語ほど一人称代名詞に多くのバラエティを与えている言葉はほかにないのではあるまいか。「わたくし」「わたし」に始まり、「ぼく」、「われ」、「おれ」、「自分」、「手前(てまえ)」、「うち」、「わし」、「それがし」、「吾(わ)が輩」、「当方」、「こちら」、「小生」、さらに「あっし」とか「あたい」とか、「わて」とか、「おいら」「こちとら」といったものまで加えれば、その数、ゆうに二十を超えるという。英語やフランス語、ドイツ語などでは一人称の代名詞はそれぞれ、I, Je, Ichたった一語である。それに対して日本語には、なぜこんなにたくさん「自分」をあらわす言葉があるのか。それは日本人が他の民族よりも、ひと一倍「自分」に注意を払い、「自己」に深い関心を持っていることを語っているのだろうか。
端的にいえばそうである。しかし、だからといって日本人に自我意識が強いとは必ずしもいえそうにない。いや、むしろ欧米人に対して日本人は「自分」を主張することがずっとひかえめであり、日本では「個人」という意識、「我」の自覚が西欧人にくらべてかなり遅れているというのが“通説”になっている。たしかに日本で個人主義が芽生えたのは、ようやく第二次大戦後といってもいい。そして現在に至っても「個」の意識はまだまだ希薄で、日本の社会全体は画一主義で貫かれている。画一主義とは没個性的ということであり、要するに「個」が「全体」に埋没してしまっている状況である。それなのに、日本人が他民族よりも「自分」に注意を向け、つねに「自己」を意識しているといえるのだろうか。
じつは日本人の自己意識は他民族、たとえば欧米人のそれとは質的に異なっているのである。…」(森本哲郎『日本語 表と裏』「わたし」)
②「知人からこんな話を聞いた。ある人が、京都の嵯峨で月見の宴をした。もっとも月見の宴というような大袈裟なものではなく、集まって一杯やったのが、たまたま十五夜の夕であったといったようなことだったらしい。平素、月見等にはまったく無関心な若い会社員たちが多く、そういう若い人らしくにぎやかに酒盛りが始まったが、話の合い間に、誰かが山の方に目を向けると、これに釣られて誰かの目も山の方に向く。月を待つ想いの誰の心にもあるのが、いわず語らずのうちに通じ合っている。やがて山の端に月が上ると、一座は、期せずしてお月見の気分に支配された。しばらく誰の目も月に吸い寄せられ、誰も月のことしかいわない。
ここまでは、当たり前な話である。ところがこの席に、たまたまスイスから来た客人が幾人かいた。彼らは驚いたのである。彼らには、一変したと見える雰囲気が、どうしても理解できなかった。そのうちの一人が、今夜の月には何か異変があるのか、と茫然と月を眺めている隣の日本人に、不思議そうな顔つきで質問したというのだが、その顔つきがいかにも面白かった、と知人は話した。・・・」(小林秀雄『お月見』)