論文は「自分の意見を相手に伝わるように書く」もので、作文との違いは「客観的・論理的に妥当である」ということにあります。作文は基本的に自由に書いていいものなので(名目上「論作文」「作文」と名がついていても、試験に出される場合は評価の対象となるので、「論文」と見るべきです)、「主観的」なものですが、論文は「客観的」なものです。これは現代文の3ジャンル(評論・小説・随筆)のうち、評論と裏表の関係にあり、評論では「書き手の意見・思想を客観的・論理的にどこまで理解・把握できるか」という能力が問われるのですが、今度は読み手から書き手へとシフトすることになります。読書量が豊富な人は論文を書いてもレベルが高いことがしばしばですが、これは読み手としてのレベルが書き手としてのレベルに反映してくるからです。逆に論文の訓練をしていくと、評論の読解力・解釈力がアップしていきます。よく「現代文は勉強方法が分からない」「日本語だから読めるけど、取れる時は取れるし、難しい話だと全然ダメ」といった声が聞かれますが、現代文の勉強の中心はきわめて明確で、それは「客観的・論理的思考力」に尽きると言って良いでしょう。これが最も端的に現われるのが評論であり、これが分からないと、ちょっと難しい問題が出された時に基本的読解能力がある人とそうでない人とがてきめんに分かれてくるのです。そして、この「論理的思考力」をつかむことが出来れば英語も数学も伸びるため(この基本3教科の試験の本質は一緒であるからです)波及効果が生じ得るのです。現代文・評論と表裏一体の関係にある論文で「論理構成」「論理展開」「論理的思考力」を訓練していくメリットは大きいのです。
【万能の見解】
本文を書いていて、なかなかまとまりがつかなくなった場合、次の一言でそれまでの展開が何であれ、一気に結論に持っていくことが出来ます。
「いずれにせよ、」
また、あるテーマが与えられて、どうしても自分の意見がまとまらない場合、次のような「万能の見解」を使って逃げるのも一手です。
「この問題については、社会全体でもっと議論していくべきである。」(その必要が無い問題はまず無い)
これに自分自身の問題としての積極的抱負を付け加えておけば、しめくくりもバッチリです。
「私もこの問題について引き続き考えて(取り組んで)いきたいと考えている。」