★『誰も見てないのに、ちょっとだけドキドキする理由』
■おはようございます!
しっかり眠れた朝は気持ちのいいものです。
ちゃんと頭、冴えてますか?
■あの「スッ」と頭が晴れる瞬間、
なんとも言えず気分がいいですよね。
■今朝、
目覚めた直後にふと「良心」と「両親」を読み間違えましてね。
ちょっと寝ぼけた頭で 「りょうしんのかしゃく(良心の呵責)?」 なんて
妙な言葉が浮かんで、一気に目が覚めました。
・「いやいや、それは心配の方向が違うだろう!」と、
自分でツッコミを入れつつ、
そこからなぜか「良心って何だろう?」という
思考のスイッチが入ってしまいました。
■朝の頭って不思議なもので、夜には考えつかないようなことを、
やけにクリアに見せてくるんですよね。
お茶を一口飲んだだけで、
「ああ、なるほどなあ~」と妙に納得してしまう瞬間があります。
■今日の私はまさにそれで、「良心」というものが、
単なる正しさではなく、「うまく生きるための知恵」なんじゃないか?
なんて考えにたどり着きました。
■「人に優しくする。」とか、
「ルールを守る。」とか、
そういう行動って、もちろん大切なんですが、
それをガチガチにやりすぎると、どこかで息が詰まる。
■かといって、何も気にせず好き放題やると、
今度は自分の中でモヤっとする。
そのバランスが、実に難しいですよね。
■以前、
近所に“ルール完全遵守おじさん”がいましてね。
信号が赤なら、たとえ車が1台も通らない深夜でも
絶対に渡らない!
■ある日、犬の散歩中にそのおじさんと並んで
信号待ちをしていたんですが、
犬の方が先にしびれを切らして座り込んじゃって(笑)。
おじさんは微動だにせず、犬は「まだ?」みたいな顔。
あの光景、なんだか人生の縮図みたいで忘れられません。
■でも逆に、「誰も見てないからいいや」と
何でもかんでも自分ルールで突っ走るのも、
あとで妙に疲れるんですよね。
■以前、
ちょっと急いでいたときに、真夜中の誰もいない交差点で、
信号無視をしたことがあるんですが、
そのあとやたらと心拍数が上がって、
・「誰かに見られていなかったか?」
・「警察官はいなかったか?」と一人で苦笑い。
結局、心のどこかでブレーキがかかってるんでしょうね。
■ここで思い出すのが、自転車のチェーンの話。
昔の自転車通勤でのことです。
寝ぼけたまま自転車に乗って仕事に向かう事がよくありました。
■ある日、「やけにペダルが重いな」と思ったら、
前日にチェーンをいじったまま、締めすぎていたんですね。
力は入るけど、どこかギクシャクして、気持ちよく進まない!
■逆に、別の日にはサボって調整をしなかったら、
今度はチェーンが緩みすぎて外れる始末。
朝から手は真っ黒、気分もどんより。
■でも、そんな中でたまに「あ、これだ!」という日がありました。
ペダルが軽くて、スーッと進む。風も心地よくて、体もよく動く。
■「今日はなんだか全部うまくいくかも?」=「絶好調!!!」と思える
あの感覚。
後から考えれば、チェーンの張りがちょうどよかっただけなんですけど。
■そのとき感じた「ちょうどいい感じ」って、
今思うと人生そのものに似ています。
■頑張りすぎても疲れるし、力を抜きすぎても前に進まない。
だけど、自分に合った“ほどよい余裕”があると、
不思議と物事がスムーズに回り出す。
だからきっと、「良心」も同じなんでしょう。
・『誰かに迷惑をかけない、という芯はしっかり持ちながらも、
完璧を求めすぎない!少しだけ自分に甘くして、
少しだけ余白を残す!』
■その“遊び”があるからこそ、心も軽やかに動く。
朝の冴えた頭でそんなことを考えていたら、
なんだか一日がうまくいきそうな気がしてきました。
■「特別なことをしなくてもいい。
ただ、自分のペースで、
自分なりの「ちょうどいい」を探していけばいい。」
■考えてみると、人間が持つ「良心」って、
案外ピュアな正義感というより、
「こうしておいた方が社会でうまくやれる」という
生存戦略の一部なのかもしれません。
■電車で席を譲るのも、ゴミをちゃんと分別するのも、
誰かに褒められるためというより、
その方が気持ちよく生きられるから!という、
ちょっとした知恵の積み重ね。
■さて、今日はどんな一日にしましょうか。
ちょっとだけいいスタートを切ってみませんか?