リーマンショックの影響は、あとになって静かに現れた。
それは、私の海外駐在の計画を大きく変えるかたちで現れた。
世界的な景気後退の中で、企業はコスト削減を最優先に動いていた。
私の会社でも、海外拠点の見直しが進んでいた。
事業所の閉鎖、海外出張の削減、帰任の前倒し、手当の見直し、投資の抑制。
そうした流れの中で、私の海外駐在も見直しの対象となった。
まず、赴任のタイミングが延期された。
そしてもう一つ、大きな変更があった。
派遣先がニューヨークからサンノゼへ変更されたのである。東海岸ではなく、西海岸。
さらに、決定的だったのはその次の話だった。
「まずは出張という形で行ってほしい。」
正式な駐在ではなく、あくまで出張というステイタス。
期間は、半年から1年。その後のタイミングでステイタスは切り替えるということだった。
それはつまり、家族は日本に残るということだった。
準備していた家族帯同の計画は、すべて白紙になった。
あの家族会議で決めた未来が、そこで一度終わった。
住居、学校、生活。
描いていた近く訪れるはずの未来が、静かに消えて白紙となった。
私は一人で行くことになった。
出発の日。
家族での渡航を前提にしていたはずの海外駐在が、結果としてひとりの出張として始まろうとしていた。
不思議な感覚だった。海外へ行くのに、どこか現実感もなかった。
会社の制度上は、まだ駐在ではない。
しかし仕事内容は、すでに駐在員そのものだった。
一方で、生活は完全に切り離されていた。
家族はいない。
生活基盤もない。
ただ、仕事だけがそこにある。
海外駐在は、制度で定義される。
しかし現実は、その通りには進まない。
私はサンノゼに到着した。
そこから、半年間の「仮の海外駐在」が始まった。実際には1年にも及ぶ海外出張の始まりだった。
このとき私は、まだ気づいていなかった。
海外駐在とは、「制度」でも「辞令」でもなく、もっと曖昧で、不安定なものだということに。
そしてこの曖昧さは、やがて別のかたちで現れてくることになる。
海外駐在は、計画通りに始まるとは限らない。むしろ、その多くは想定外から始まる。
あなたの海外駐在は、どのように始まりましたか。
それはあなたが想定していた始まりだったでしょうか。