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「単身赴任はやっぱり難しい?」― 家族の決断が揺らぎ始めた ―

正式に駐在の人事発令があり、ステイタスの変更に伴って給与などの処遇が駐在員扱いとなった。 ようやく家の賃貸契約が結べるようになり、物件を探し始めた。 そんなタイミングで日本にいる家族に電話をした。 どんな物件が良いか家族の希望を確認したい、私はそんなことを考えていたのだが、返ってきたのは「単身赴任はやっぱり難しい?」という言葉だった。 正式に駐在員扱いになって、これで家族4人の生活が始まると考えていた私にとっては、いまさらなにを言ってるのだろうか?という感覚だった。 「とりあえず行ってみよう」と話し合ったじゃないか。私はそんな言葉を発していた。 詳しく話を聞いてみると、この数か月ひとりで悩んでいたそうだ。 会社を辞めてサンノゼに帯同するか、それとも会社を辞めずに日本に残るか。 というのも、同僚から同じような状況で会社を辞めて海外へ行き、数年後に帰国した際に正社員での働き口探しに苦労した人の話を聞いたらしい。 「会社を辞めた瞬間、それまで積み上げてきたものは全部なくなる」。 そんな話を聞かされて、一度決断したはずの思いが揺らいでしまっていた。 上司との評価面談では「会社に残ってキャリアアップを目指したらどうか」とも言われことも悩みに拍車をかけたらしい。 自分のキャリアの中断と家族との生活、誰に相談することなく答えが見つけられずにいた。 実は、子供たちも動揺していた。 彼らにとって、この数か月間の空白は様々な影響を与えていた。 学校からは学年主任を通じて内部進学希望の有無の返事を求められていた。 海外への転校については、早い段階から予定時期など学校に相談をしていた。 ところが、なか
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「まずは出張という形で行ってくれ」 ― “仮の海外駐在”が始まった ―

リーマンショックの影響は、あとになって静かに現れた。 それは、私の海外駐在の計画を大きく変えるかたちで現れた。 世界的な景気後退の中で、企業はコスト削減を最優先に動いていた。 私の会社でも、海外拠点の見直しが進んでいた。 事業所の閉鎖、海外出張の削減、帰任の前倒し、手当の見直し、投資の抑制。 そうした流れの中で、私の海外駐在も見直しの対象となった。 まず、赴任のタイミングが延期された。 そしてもう一つ、大きな変更があった。 派遣先がニューヨークからサンノゼへ変更されたのである。東海岸ではなく、西海岸。 さらに、決定的だったのはその次の話だった。 「まずは出張という形で行ってほしい。」 正式な駐在ではなく、あくまで出張というステイタス。 期間は、半年から1年。その後のタイミングでステイタスは切り替えるということだった。 それはつまり、家族は日本に残るということだった。 準備していた家族帯同の計画は、すべて白紙になった。 あの家族会議で決めた未来が、そこで一度終わった。 住居、学校、生活。 描いていた近く訪れるはずの未来が、静かに消えて白紙となった。 私は一人で行くことになった。 出発の日。 家族での渡航を前提にしていたはずの海外駐在が、結果としてひとりの出張として始まろうとしていた。 不思議な感覚だった。海外へ行くのに、どこか現実感もなかった。 会社の制度上は、まだ駐在ではない。 しかし仕事内容は、すでに駐在員そのものだった。 一方で、生活は完全に切り離されていた。 家族はいない。 生活基盤もない。 ただ、仕事だけがそこにある。 海外駐在は、制度で定義される。 しかし現実は、その
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「私はどうすればいいの?」― 海外駐在は家族全員の人生を動かす ―

「私はどうすればいいの?」 その一言から、家族会議は始まった。 海外駐在を受けるかどうかの最終的な決断もまた、家族会議の場で決まった。 当時の我が家は、4人家族だった。 妻、息子、娘、そして私。 妻は会社員として働いていた。 仕事は忙しく、責任のあるポジションを任されていた。 社内でのキャリアは途上にあり、これからという時期だった。 息子は中学2年生。 中高一貫校に通い、強豪の運動部に所属していた。 仲間にも恵まれ、充実した日々を送っていた。 娘は小学4年生。 中学受験の準備を進めていた。 そんなタイミングでの海外駐在の打診だった。 最初に口を開いたのは妻だった。 「私はどうすればいいの?」 その一言には、様々な意味が含まれていた。 仕事を続けるのか。 帯同するのか。 単身赴任にするのか。 どれを選んでも、何かを失う。 帯同すればキャリアは中断する。 単身赴任にすれば家族は分断される。 残るという選択は、そもそも現実的ではなかった。 息子ははっきりとした口調で言った。 「俺は行きたくない。」 理由は明確だった。 学校、友人、サッカー。 すべてがここにあるのだ。 娘は対照的だった。 「私は行ってもいいよ。」 今の環境に悩んでいた彼女にとって、海外は「変化」の可能性だった。 家族の意見は、きれいに割れていた。 そして私は、そのすべてを背負っていた。 海外駐在は、会社の人事異動として語られる。 しかし実際には、家族全員の人生に影響する決断である。 それを、初めて実感した瞬間だった。 何度かの話し合いを重ねた。 結論は、ある意味でシンプルだった。 「とりあえず行ってみよう。だめなら帰れ
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