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私のブログ8

着任から1ヶ月ほどして、家族を横浜に移転させようと決めました。店長となって、大幅に収入が上がり大阪よりも物価が高い横浜でも暮らしていけると計算がたったからです。何よりも、娘と会えないことに対して我慢の限界がきており、研修も終わったので、単身赴任している理由もありませんでした。しかし、義家族が大反対し、当時の妻が大阪を離れることを嫌がったのです。「大阪で生まれた女」でも最終的には東京について行ったのに、なんでやねんって感じになりました。移転の話は平行線のままでしたので、娘を引き取って離婚を考え始めるようになったのです。相手は無収入でしたので、弁護士さんも私が娘の親権を得れると答えてくれました。育児と超ハードな仕事を考えると怯みそうになりますが、結論を出さなければならないとも思っていたのです。その矢先に、大阪に転勤が決まりました。
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不倫を墓まで持って行った人の話

こんにちは。私が法的にサレ妻であっても、不倫の相談が出来る訳。うーん。本当に、色々なケースを 目の当たりにしてきたからと言うのが大きいです。ほんと、ゲス極まりないケースから、「墓まで持っていけて良かったね」というケースまで。今日は、その中の「墓まで本当に 持って行っちゃった」人のお話し。海外単身赴任していたAさん。日本に住んでいる奥様とラブラブで、毎日ビデオチャットしていたり、奥様が来ると本当にうれしそうでこんなご夫婦、いいなー と 思っていました。が、奥様がAさんの元を訪れる前日だったある朝、出社しないAさんを 会社のスタッフが訪ねたところ持病の発作で お亡くなりになっていたそうな。で、実は、Aさんには 身の回りのお世話をしていた 現地の彼女がいて、たまたま、翌日に奥様が来るというので、女性には暫く来ないようにと言っていたんだそうです。倒れていたすぐそばに、持病の薬が置いてあったそうです。もし、彼女が一緒に居たら。もし、奥様が来る日が1日早かったら。・・・・・奥様は、Aさんを今でも愛していらっしゃり、命日にお花を贈ったり お電話すると「覚えていてくれてありがとう。。。」と やさしく言ってくださり、涙ぐんでいます。現地の彼女は というと。詳しくは知りませんが、全てが終わった後、Aさんの彼女の事を知る仲間が事の始終を伝えたようです。不倫を 本当にお墓まで持って行っちゃった人のお話し。その他、いろいろなケースを見てきたからこその アドバイス、させて頂きます。
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「まずは出張という形で行ってくれ」 ― “仮の海外駐在”が始まった ―

リーマンショックの影響は、あとになって静かに現れた。 それは、私の海外駐在の計画を大きく変えるかたちで現れた。 世界的な景気後退の中で、企業はコスト削減を最優先に動いていた。 私の会社でも、海外拠点の見直しが進んでいた。 事業所の閉鎖、海外出張の削減、帰任の前倒し、手当の見直し、投資の抑制。 そうした流れの中で、私の海外駐在も見直しの対象となった。 まず、赴任のタイミングが延期された。 そしてもう一つ、大きな変更があった。 派遣先がニューヨークからサンノゼへ変更されたのである。東海岸ではなく、西海岸。 さらに、決定的だったのはその次の話だった。 「まずは出張という形で行ってほしい。」 正式な駐在ではなく、あくまで出張というステイタス。 期間は、半年から1年。その後のタイミングでステイタスは切り替えるということだった。 それはつまり、家族は日本に残るということだった。 準備していた家族帯同の計画は、すべて白紙になった。 あの家族会議で決めた未来が、そこで一度終わった。 住居、学校、生活。 描いていた近く訪れるはずの未来が、静かに消えて白紙となった。 私は一人で行くことになった。 出発の日。 家族での渡航を前提にしていたはずの海外駐在が、結果としてひとりの出張として始まろうとしていた。 不思議な感覚だった。海外へ行くのに、どこか現実感もなかった。 会社の制度上は、まだ駐在ではない。 しかし仕事内容は、すでに駐在員そのものだった。 一方で、生活は完全に切り離されていた。 家族はいない。 生活基盤もない。 ただ、仕事だけがそこにある。 海外駐在は、制度で定義される。 しかし現実は、その
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私がワーママで居続ける理由(娘について)

こんにちは ^^ ココナラブログの2つ目の記事は「私がワーママで居続ける理由」と題しまして、私のひとり娘に関するお話をします。「ワーママで居続ける理由」なんて大袈裟な言い方をしましたが、 特に悲壮な決意がある訳でもなく(全くない訳でもなく)、今も働く理由と、現職(リラクゼーション・セラピスト)にやり甲斐や目標があるから続けています。 ですが、その原動力の源は間違いなく「娘」で、娘がいるから何があっても生きていかなきゃ、と思って頑張る事ができています。 ※ 今回のお話はけっこうボリュームがありますので、最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。私のひとり娘は、昨年、四年生の音楽大学を無事に卒業しましたが、高校3年生の時に始めたアルバイトが性に合ってるとのことで、今も同じ仕事を続けています。彼女の父親は(つまり私の夫は)、 「どんな会社でもいいから新卒で正社員にならなきゃ駄目だ」としつこく言い続けていたのですが、娘は大学3年からそれを聞き流し続けて(汗)全く就職活動をしませんでした。私は、そんな娘の様子を見守っておりましたが、「ひーを説得してくれ」(以降会話シーンでは「ひー」と表記します)と夫から頼まれてはいなかったので、結果として娘は現在も同じアルバイト先で仕事を続けているという訳です。ちなみに夫は、娘が中学2年になる前くらいに、単身で東北地方に赴任しました。数年前からは九州に転勤になり、月1くらいの頻度で主に週末に帰宅します。 私のワーママ生活と、娘との2人暮らしの期間はだいたい同じで、かれこれ10年近くになります。 さて、前回の記事では、「本当に色々な事がありました」、とざっくり
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「単身赴任はやっぱり難しい?」― 家族の決断が揺らぎ始めた ―

正式に駐在の人事発令があり、ステイタスの変更に伴って給与などの処遇が駐在員扱いとなった。 ようやく家の賃貸契約が結べるようになり、物件を探し始めた。 そんなタイミングで日本にいる家族に電話をした。 どんな物件が良いか家族の希望を確認したい、私はそんなことを考えていたのだが、返ってきたのは「単身赴任はやっぱり難しい?」という言葉だった。 正式に駐在員扱いになって、これで家族4人の生活が始まると考えていた私にとっては、いまさらなにを言ってるのだろうか?という感覚だった。 「とりあえず行ってみよう」と話し合ったじゃないか。私はそんな言葉を発していた。 詳しく話を聞いてみると、この数か月ひとりで悩んでいたそうだ。 会社を辞めてサンノゼに帯同するか、それとも会社を辞めずに日本に残るか。 というのも、同僚から同じような状況で会社を辞めて海外へ行き、数年後に帰国した際に正社員での働き口探しに苦労した人の話を聞いたらしい。 「会社を辞めた瞬間、それまで積み上げてきたものは全部なくなる」。 そんな話を聞かされて、一度決断したはずの思いが揺らいでしまっていた。 上司との評価面談では「会社に残ってキャリアアップを目指したらどうか」とも言われことも悩みに拍車をかけたらしい。 自分のキャリアの中断と家族との生活、誰に相談することなく答えが見つけられずにいた。 実は、子供たちも動揺していた。 彼らにとって、この数か月間の空白は様々な影響を与えていた。 学校からは学年主任を通じて内部進学希望の有無の返事を求められていた。 海外への転校については、早い段階から予定時期など学校に相談をしていた。 ところが、なか
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「私はどうすればいいの?」― 海外駐在は家族全員の人生を動かす ―

「私はどうすればいいの?」 その一言から、家族会議は始まった。 海外駐在を受けるかどうかの最終的な決断もまた、家族会議の場で決まった。 当時の我が家は、4人家族だった。 妻、息子、娘、そして私。 妻は会社員として働いていた。 仕事は忙しく、責任のあるポジションを任されていた。 社内でのキャリアは途上にあり、これからという時期だった。 息子は中学2年生。 中高一貫校に通い、強豪の運動部に所属していた。 仲間にも恵まれ、充実した日々を送っていた。 娘は小学4年生。 中学受験の準備を進めていた。 そんなタイミングでの海外駐在の打診だった。 最初に口を開いたのは妻だった。 「私はどうすればいいの?」 その一言には、様々な意味が含まれていた。 仕事を続けるのか。 帯同するのか。 単身赴任にするのか。 どれを選んでも、何かを失う。 帯同すればキャリアは中断する。 単身赴任にすれば家族は分断される。 残るという選択は、そもそも現実的ではなかった。 息子ははっきりとした口調で言った。 「俺は行きたくない。」 理由は明確だった。 学校、友人、サッカー。 すべてがここにあるのだ。 娘は対照的だった。 「私は行ってもいいよ。」 今の環境に悩んでいた彼女にとって、海外は「変化」の可能性だった。 家族の意見は、きれいに割れていた。 そして私は、そのすべてを背負っていた。 海外駐在は、会社の人事異動として語られる。 しかし実際には、家族全員の人生に影響する決断である。 それを、初めて実感した瞬間だった。 何度かの話し合いを重ねた。 結論は、ある意味でシンプルだった。 「とりあえず行ってみよう。だめなら帰れ
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「子育ては親育て」だったと気づくまで 

仕事の都合で、私は小5の長女・小3の長男・年長の次女を連れ、自宅を離れて3年間、単身で働くことになりました。 慣れない土地での生活、仕事の責任、転校先での子どもたちの不安――どれもが重なり、とても大変な時期でした。 なかでも、のんびり屋の長女はクラスに馴染めず、登校後に靴箱の隅に隠れたり、保健室で過ごしたりしていたそうです。 けれど私は、そのことを2か月ほど経ってから、人づてに知りました。 子どもたちは、私の様子を見て気をつかい、「言えなかった」のだと思います。 ただ、学校側からも一度も知らせがなかったことは、今でも腑に落ちません。 親が遠方にいようと、子どもの変化は必ず伝える必要があったのではないか――そう感じています。 悩んだ末、私は長女だけを夫の住む自宅へ戻しました。 その決断が正しかったかどうかは、今もわかりません。 ただ、「本人の性格の問題」だけでなく、学校の対応にも原因があったのだとすれば、一度でいいから相談してほしかった。 当時の私は、そう思わずにはいられませんでした。 それでも長女はその後、高校、短大へと進み、今は自分のやりたい仕事に向き合っています。 人生は予測できないことばかりで、事前に用意できるものなんて、ほとんどありません。 だからこそ大切なのは、 「今、この瞬間に何をするべきか」を判断する力。 そして、 ひとりで抱え込まないことですよね。 親として、あの頃の私は多くを学びました。 人に会うのも控えたい。会話をしていても言葉がスムーズに出てこない。そんな自分にその時は気づけなかった。結構いっぱいいっぱいだった。 でも、子どもがいたから、進むしかない。やる
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辛い遠距離恋愛を乗り越える5つの基本

遠距離恋愛は間違いなく挑戦的で、特に彼との直接の接触が限られている場合、孤独感や不安感が強くなることがあります。しかし、遠距離恋愛を成功させ、その課題を乗り越えるためのいくつかの方法があるので紹介していきます。1.定期的なコミュニケーションを確保する定期的なコミュニケーションは遠距離恋愛において絶対的に重要です。お互いの日常生活の一部を共有し、感情や思考をオープンにすることが大切です。現代のテクノロジーはビデオ通話や即時メッセージングを可能にしており、距離があっても容易に連絡を取ることができます。2.訪問を計画する可能なら、定期的に訪問を計画することが有効です。お互いに会うことで、関係の強さを再確認し、孤独感を軽減することができます。3.共有の経験を持つ遠距離でも、共に映画を見たり、本を読んだりするなど、共有の経験を持つことが可能です。これは二人の絆を強化し、距離を縮めるのに役立ちます。4.期待値と目標を明確にする遠距離恋愛における期待と目標を明確にすることは重要です。これには、お互いのコミュニケーションの頻度、訪問の頻度、そして最終的には遠距離恋愛から通常の恋愛へと移行する計画などが含まれます。5.信頼を構築し、維持する信頼はすべての恋愛関係の中核であり、遠距離恋愛においては特に重要です。お互いに対する信頼を築き、維持することで、不安感を軽減し、関係を強化することができます。以上のすべてが適用可能であるとは限らず、何が最善であるかは個々の関係や状況によります。何よりも大切なのは、あなた自身の感情を大切にし、必要なサポートを求めることです。+*+*+*+*+*+*+*+*彼の気
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大切な人を、大切に。

外付けコンパクトHDDを整理していたら、昔の画像や動画ファイルを見つけてついついクリック。会社から帰ると「パパだ〜!」と玄関まで走って迎えてくれる子供たちがいる。満面の笑みの妻。あーだこーだとうるさい毎日。忘れていたよ。ふと思う。もう十分幸せだなーって。嬉し泣きしそうなくらい。自由に、好きなようにさせてくれてありがとう。どうか、同じように、自分が好きなように生きてほしい。だって、自分の人生なんだから。単身赴任を終え、久しぶりの我が家で過ごす、そんな年末です。大切な人を、大切に。
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夫は単身赴任、私はパートと子育てで手一杯…

夫が単身赴任中、家事、パート、そして子育てを一人でこなす日々は、本当に大変ですよね。「もう限界」と感じることもあるでしょう。子どもに対して、きつくあたってしまうこともあるかもしれません。それは、心が限界を感じている証拠。そんなとき、まずは頑張っているあなた自身を認めてください。そして、「全部を完璧にしなくてもいい」と自分を許していくことです。家事は手を抜いたり、便利な家電や宅配サービスを活用したりしてみましょう。そして何より、自分の時間を少しでも作ることを忘れないでください。短い時間でも、好きな音楽を聴いたり、コーヒーを飲むだけで心が少し軽くなります。一人で頑張りすぎず、自分を労わってくださいね。
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