子育てについて思うこと

記事
コラム
いつもは英語についてのブログを書いていますが。。。
最近気になることについて書いてみたいと思います。

子育てといえば、皆さんそれぞれの環境で頑張っておられますが
「子育て」とは言うものの、それは「いい子供に育てる」ことではなく
「大人になって、社会に貢献し、信頼され、他人を尊重できる。。ような人間に育てる」ことだと思うんです。
勉強や仕事ができる人になれれば、なれた方がいいけど
一番大事なことは「人柄のいい人、思いやりのある人になる」ことだと、私は思っています。
私自身もまだ道半ばで、そういう人になれたらいいな、と日々思うのです。


こんなことを思うには日々の出来事からですけれど。。。

先日はこんなことがありました。
ある総合庁舎に仕事で行った時のことです。
私は2つの事務所に用事があって、1つを済ませて次の事務所に向かっていました。
そこに至るのはわりと遠く、いくつか重たいドアがあるんです。
私がドアを開けて進もうとしていた時、後ろから誰かが来ていることに気が付いたので、そのドアを開けて待っていたんです。
その人は「すみません」と言いました。
「初めて来たので、これでいいのかしら?」などと言いながら
結局、私と同じ場所に向かっていたのでした。
そこでは順番を待つのに、番号を取って待たなければなりません。
30代と思しき彼女はさっさと、私より先に番号を取って、先に呼ばれて、私より先に用事を済ませました。

特に憤慨するような話ではないのかもしれませんが、私が彼女だったら
先に歩いていた私に番号を譲るのにな、と思いました。
彼女が私の子供なら、そのようにその場で注意するな、と思いました。


一方で、こんなこともありました。
その時、私は一人でレストランの順番を待っていましたが
待っている人は他に一組で、用紙もなかったので、ただ座って、係の人が来るのを待っていたのです。
その時、何人かの女子高生が入ってきました。すると店の人が来て用紙を出して、その子達に名前を書くように言ったのです。
「名前書くんだって?」とその高校生に訊いたら「はい」と言うので
その子たちの次に書こうとしていたら「お先にどうぞ」と譲ってくれました。

当たり前と言えば当たり前ですが、感心しました。
ちゃんとその場の状況を判断した結果、私に気を使ってくれたのですからね。


ある時は、駅の改札に向かっていました。
小さい駅で、前から人が来るので立ち止まったのですが
その若い女性は、ほぼ正面からドン!とぶつかってきたのです。
私はあっけにとられてしまって何も言いませんでしたが
ぶつかってきたその彼女も、何も言わず、謝りもせず、何事もなかったように去って行ったのです。


最近は高齢化社会ということもあり、子は宝という雰囲気。。。
というか、子供は「免罪符」みたいな親御さんもよく見かけます。
ベビーカーに道を譲っても、当たり前のように、会釈すらしないのです。
もちろん、ありがたがってくれる人もたくさんおられますが。。。
そういうところを子供たちは見ていると思うのです。


「褒めて育てる」もなんだか定番になった気もしますが
私の子供たちが幼稚園のころ。。。もう25年くらい昔ですが
有識者がそんなことを言い始めました。
「大人だって褒められればうれしいんだから、褒められればやる気になる」
と言っておられましたが。。。
今となっては、何でもないのに褒められ続けた子供たちが大人になって
社会に出て「褒められない」ことに直面して、面食らっている。。。ような気もします。
大人が褒められてうれしいのは、大抵のことは褒められないからではないでしょうか?
褒められすぎた子供は、褒められないとやらない。。。という感じになっているんじゃないでしょうか?


「怒らずにしかる」とも言われました。
怒らないで、何がいけなかったか説明して納得させる、という
私からしたら「神業」です。(笑)
これは、やり方としてはとてもいいんじゃないかな、と思う反面。。。
ならば、その子を「最初に怒る」のは誰なのか?という疑問を持ちます。
喜怒哀楽が人間の感情です。
親が怒らなかったとしたら「怒」の感情は誰から教わるのでしょうね。


サッカーのサポーターの皆さんが、ゲームが終わった後、席のごみを片付けることが賞賛されますが、日本人にとってはずっと言われてきた「習慣」のようなものですね。
「ごみはごみ箱」「ごみは持って帰る」って言われますよね。

そうやって「人の迷惑にならないように」することや
話をするに「自分を下げて、丁寧な話し方をして、相手を上げる」ことなどは
本当に誇るべき文化だな、と思います。
道を譲っていただいたり、誰かが自分のことを気にかけてくださったときには
せめて会釈くらいはしたいものです。


私の子供たちは既に30代です。
それぞれ自活しています。
私はもう、この子たちに教えられることは何も無いと思っていますが
実家に帰ってきたときには、ご飯を食べながら、色々な話をします。
何か質問されたとき「ママだったらこうする、こう思う」と返事します。
(ちなみに、私はママと呼ばせて育てましたので(笑))
というのは、私は子供が幼稚園に入って新たな「自分の社会」を持った時から
「子供と親は別々の存在だ」と思っているからです。
私と子供たちの思い、考えは違うのが当然なので「ママだったら」というのです。そうすると、決めるのは本人なので、何か不都合があっても自分で責任を取る、ということになります。
そんなことで、進学する学校も、社会に出てどうするかも、私は何の希望も出しませんでした。こうしなさい、とも言いませんでした。
つまりこれも「自分で決めて自分でその責任を負う」ようにしたかったからです。
今書いている色々なエピソードも、気をつけなさいよ、という意味で
話したりします。
そうは言っても、私は昔の若者ですから、今の人たちの考え方と違うことも多々ありますので、そんなときは娘たちと意見を交わし、なるほどね。。。となることもあります。


今考えれば、子供が小さい頃は私もテンパっていたようなところもありました。
昔の若者ですから、もちろん今でいう「ワンオペ」の育児でした。
下の子が4歳違いで産まれましたが、例えばお風呂なんて
2人を入れて寝かせた後に、自分はもう一回入ったり、
そのあと晩酌したり(笑)。。。
色々と工夫しながらやっていました。

という訳で、もうすっかり子育ても終わり、今は私の人生。。。という感じでしょうか。
なので、結婚やら孫やらは特に勧めたりしません。(笑)
私が子供たちを幸せにできるはずもありません。
すべては本人次第です。

アッという間に、私も若者言葉にケチをつけるような歳になってしまいました。本当にアッという間なんです。(笑)
子供たちなんて「この前産まれた」ように思いますがもう30代ですからね。(笑)
そんなわけで、娘たちには今のうちにやりたいようにやって欲しいと思っています。

そして私の方は残りの人生で「今日が一番若い日」(笑)なので
今年に入ってココナラで、英会話の練習相手を始めました。

私は自分の両親とは、あまり良い信頼関係がありませんでしたが
彼らはもういません。
父は63,母は75でこの世を去りました。
そのため、私にあと20年あるかどうかも分からないと思っています。

親ガチャなんて言う言葉がありますけども
子供も親にとっては「ガチャ」です。
選んで産んだわけではありませんよね。(笑)
私は両親をあまり信頼していませんでしたので、もっといい人のところに産まれたかった、なんて子供の頃は思っていましてけれども。。。
両親にとっても、私が望んだ通りの子供だったかどうかは疑問ですよね。

私の子育てが良かったか悪かったか、あるいは悪かったとしてもそれがこの子らにプラスだったかどうか、この子たちが亡くなるときに、自分の人生がいい人生だったかどうかにかかってくると思います。
私の子育ては終わったけれど、結果はずっと先に出ると思っています。

私の両親は、子供だった私にとっては良い両親ではありませんでした。
しかしながら、そのおかげで、私は何でも自分の責任で行う、ということが身についたんじゃないかな、とも思います。

これからの私は、老いていくばかりですが、考え方や出来事に対する感じ方は、子供の頃のままです。
それに経験がプラスされてはいますが、私のコアの部分は昔の私と何ら変わっていないと思っています。

そうすると、子育てとは、その一人一人の人間の全人生に影響を及ぼすものなのではないでしょうか。

専業主婦で子育てをしていると、今の世の中では馬鹿にされることもあるでしょう。しかしながら、世の中で最大の大きな責任を負うのが「子育て」という仕事ではないかな、と思ったりもします。








サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す