人生を謳歌しましょう。〜亡くなった母に追悼を〜
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コラム
2024年10月下旬に母親が急死しました。すぐにでも中国へ飛んで行きたかった。でも免ビザ停止中のため、葬式に参列することは叶いませんでした。行政書士試験の後の11月30日。中華人民共和国駐日本国大使館領から公示がありました。突然のことでした。日本人への免ビザが解禁され、しかも15日間ではなく、30日間中国に滞在できます。
「これで父のところへ、亡き母のお墓参りに行けるっ。うれしー。」と心ごと飛び跳ねて喜びました。早速、チケットを予約しました。一ヶ月間ですが、父の面倒をみようと実家に戻りました。
実家に戻った翌日から、ご飯の支度、洗濯、お掃除や買い物に追われ、便利な日本とは違う生活の不便さを感じながらの毎日が始まりました。とても忙しく1日が過ぎ去ります。母がいなくなった悲しみも忘れてしまうくらい、休む時間もなくバタバタしていたので、夜になって枕にあたまがふれた途端寝落ちしてしまうほどでした。
ある日、冷凍庫を開けたとたん、涙が吹き出しました。
冷凍お肉や冷凍野菜の袋詰めが隙間もなく大量に保存されていたのです。それを目にした瞬間、走馬灯のように母と暮らしていた頃の記憶が一気にあたまの中を駆け巡り、それまで忘れていた母への想いが溢れ出したのです。母は昔貧乏だったこともあって、節約思考が染み付いていて、生活が良くなってからも変わりませんでした。母は贅沢な生活をしようとはせず、質素倹約の生活をよしとしていたのです。
「今は節約しないと、歳を取ったとき使うお金を貯められない。歳を取ってからもお金がたくさん必要でしょう」それが母の口癖でした。ことあるごとに言っていました。
しかしです、そんな母の切なる思いと裏腹なのが現実でした。歳を取ってお金があっても、期待通りにならないのです。入れ歯になっていたので、食べたいものも食べれません。かたいものはNG、やわらかくないとだめなんです。どこかに旅行に行きたい、でも足が思うように動かず、付き添ってくれる誰かが必要です。では、貯めたお金の使い道はどこにあったでしょう?
薬です。ひとは誰でも歳を取るにつれてなにかしらの病気と伴走するようになります。結局お金の行く先は、長年の苦労で残った腰痛や糖尿病や心臓病の薬だったのです。ふと片付けの途中で見つけた母のパッチが貼られた下着を手にしたときには、それはそれは胸が締め付けられるような痛みを感じ、悲しさがこみ上げ、その悲しみでどうにかなりそうになり、トイレに隠れて号泣しました。それでも時間は流れます。実家での過ごすのももう10日目。
「ママちゃん、おめでとうございます!合格しましたよ!」
いつもとおりのバカがつくほど元気な声。わたしの主人の声です。いまでも鮮明に覚えています。その声が届いたのは1月29日。その日は行政書士試験の合格発表の日、折しも中国では正月初日(春節初日)でした。まだ悲しみから抜け出せずにいる意気消沈した日々を送る父が窓越しに近所の老夫婦が外出していく姿をじっとながめているところでした。
わたしの携帯電話が鳴り響きました。ビデオ通話の画面越しから、満面の笑みをたたえた主人から「ママちゃん、おめでとうございます!合格しましたよ!」と。ものすごく高揚した声で嬉しそうにわたしに伝えてくれたのです。おかけで落ち込んでいたわたしも心の底から嬉しい気分で満たされました。
「良かった、諦めないで良かった」とわたしも高揚した声で言いながら、父にも伝えると、父も久しぶりに笑顔なってくれたのを見て、思わずに父に抱きついてしまいました。
その夜、隣りに寝ている父から久しぶりにしずかな安心したような寝息が聞こえています。わたしの方は、長年頑張ってようやく合格したことを天国にいる母が知ったら、母もどれだけうれしく喜んでくれるかな、といろいろ考えてしまって気分が高揚したまま眠れませんでした。うれしさと悲しさが同居している感覚もはじめての経験でした。
食べたいものを食べ、行きたいところへ旅行に行き、やりたいことをやって人生を謳歌していこう。悲しさを乗り越えたわたしは強くそう思います。この世に生きているうちに、悔いが残らないようにしよう。自分が何をやりたいかの探求はこれからも続きます。憧れの行政書士資格を手にしました。行政書士として人生の歩みを一歩進めようと開業することを決めました。