皆様、こんばんは。
いかがお過ごしでしょうか?
自分自身は苦しみを抱えながらも、ココナラの方々の存在に救われています。
いつも本当にありがとうございます。
さて、今日はいじめについてのお話です。
普段は自分の心を守るためにニュースは見ないようにしています。
ただ、先日、なんとなく見なければならないような気持ちになって、ニュースを見てしまいました。
その時、いじめに関するニュースを目にしました。
いじめという言葉で片付けて良いのかわからなくなる時があります。
自分自身も学生時代にたくさんのいじめを受けました。
ただ、どのいじめも周りも先生も見て見ぬふりをしていた感覚があります。
まさに自分は透明のような存在でした。
実際に、暴力を振るわれたりするいじめは壮絶なものだと思います。
どうすればいじめがなくなるのだろうと真剣に考えます。
ただ、将来的にいじめがなくなる事はきっとないのだと思います。
人間である以上、動物である以上、いじめは絶対になくならないと感じます。
どうすれば大事な人を守れるのかを考えた方が早い気がします。
人間の心理を理解しているからこそ、そう思うのかもしれません。
自分が子供だった時は、いじめられていることを親に言うことができませんでした。
多くの子供たちが誰にも話せず、苦しい想いをしているのだと思います。
親に悲しい気持ちをさせたくない、いじめられていると知られることが恥ずかしいと言ったような気持ちが根底にありました。
また、周りにも気づかれないようにしていた気がします。
心の中では泣いていましたが、顔では平然としていた記憶があります。
感覚的にも、当時の先生は、自分がいじめられていることに気づいていた感覚でした。
ですが、心の奥底でいじめの問題は面倒だと感じている感覚が強かったです。
実際、自分をいじめてくる人の多くは外交的で友人が多く、先生にも気に入られている方が多かったように感じます。
いじめをする人と言うのは外交的で世渡り上手な方が多い印象があります。
だからこそ、自分にひどいことをしてきた人たちは、その後、幸せな人生を生きた方が多いのだと思います。
また、家庭環境に問題がある方もいました。
結果、ソシオパス的要素が強くなって、踏みにじることができる存在を探していた感覚でした。
過去を振り返っても、多くの方に痛めつけられてきた人生でした。
見るに耐えない人生を歩んできたように感じて、自分を恥ずかしく思うこともあります。
それでも、こうして今を生きています。
正直なところ、毎日嫌な記憶を思い出しますし、自分のことを痛めつけてきた人たちのことを思い出します。
ただ、生きていると、時々良いことがあるものです。
自分自身にとっての良い事は、ココナラで皆様と出会えたことです。
今、苦しい気持ちで自殺を考えている子たちは多く存在しているはずです。
子供だけでなく、大人の方でも自殺を考える方はいると思います。
そんな方たちに、生きていたら必ず良いことがあるから、生きていて欲しいとは自分は言えません。
自分自身も同じ気持ちを経験してきたからこそ、そう思うのかもしれません。
十代の時の話になりますが、自分のお腹を包丁で刺して死のうとしたことがありました。
その時の精神状態はひどいものでした。
学校では当たり前にいじめを受けていましたし、家庭もうまくいっていませんでした。
外に行くと孤独を感じ、人の気持ちを受け取っては苦しんでいました。
人から冷たくあしらわれることが多く、自分は本当に価値のない人間なんだと絶望していた記憶があります。
誰にも大事にしてもらえない人生でした。
学校でも、家庭でも、それ以外の場所でも全く居場所はありませんでした。
どこに行っても邪魔者扱いされるような、そんな感覚でした。
家の中に誰もいなくなった瞬間、涙が止まらなくなったのを今でも覚えています。
そして、台所から包丁を取り出して、自分のお腹に当てました。
包丁を握り締めながら、声を出してずっと泣きました。
その姿はとても哀れだったと思います。
余談にはなりますが、自分のお腹には今でも大きな傷が残っています。
天気が悪い日などは今でもズキズキと痛む感覚があります。
傷が大きかったからこそ、生涯を通じてある痛みなのだと思います。
お腹の傷のことは全く意識しない日が多いのですが、お腹に目を向けると大きな傷が見えて、気持ちが塞ぎ込む時があります。
自殺未遂をして、生き残った方は多く存在すると思います。
ただ、中には完全に死にきれず、下半身不随や身体に不調を残してしまう方もいるのだと思います。
そもそもの問題として、痛めつけられる側が自殺をする社会と言うのは間違っています。
自殺と言うものは本当に惨いものです。
絶望と苦しみ、死ぬことで苦しみから解放されるのではないかという切ない希望、そんな感情が混ざり合っています。
ただ、自分で自分を殺してしまうと言うのは悲しいものです。
そして、いじめで自殺を選んだ子の死を喜ぶ加害者と言うのも確かに存在するのだと思います。
みんながそうとは言いませんが、自分をいじめてきた方の心境を分析すると、間違いなく喜ばれると感じました。
そんな人間のために大事な命を落として欲しくないと思います。
自分を殺さなくていいんだよと今だったら思えます。
嫌な人や嫌な場所から離れる事は大事なことです。
逃げではなく、自分を守るためにも辛い場所からは距離を置いてほしいです。
もちろん、生きていても、必ず良いことがあるとは限りません。
自殺をするときの心理と言うのは、完全な絶望に近いと思います。
自殺を回避できたとしても、現実が苦しければ、また自殺したいと思う事はあるはずです。
正直なところ、自分自身も今でも生きることが苦しいと思うことがあります。
それでも、生きていられるのはココナラの皆様の存在に救われているからだと感じます。
今自殺を考えている方や、希死念慮に悩まされている方はいると思います。
自分自身がこのような話を共有することで、自分だけじゃないんだとほんの少しでも気持ちが軽くなる方がいれば良いなと思って書かせていただきました。
重い内容ではあるのですが、少しでも誰かの心の助けになれたらと思うばかりです。
何の役にも立てないとは思うのですが、皆様と一緒に明日も生きていけると嬉しいです。
どうか、自分に優しく生きてあげてくださいね。
誰かに認めてもらわなくても、自分が自分を認めてあげることができたら、少しでも生きることが楽になるのではないかと思います。
苦しい気持ちで命を終えていく方がいなくなりますように。