好きと愛してるの違いは何か?
花が好きという場合花を摘むだろう
花を愛するという場合世話して毎日水をやるだろう
僕は毎年、新年を迎える時間に、ある場所に行きます。
数年前、あの人が人生の最後を迎えた場所。
その人は様々な心理的苦痛に耐えているなかで、僕のところへ遺言の相談に来ました。
二十歳を少し超えたくらい。まだ少女に見えるその人が、計画的に自分の人生を終わらせるために遺言の相談をする。
その計画を断念させるにはどうしたらよいのか。平静を装っていた僕は、心の中はパニック状態でした。
「死なないで」という言葉には意味がないよな。人生相談、カウンセリング?彼女の苦しみをどうしたら軽くできるのか。どうすれば計画を止められるのだろう。
でも、相談内容は遺言の法務相談。クライアントの目的のために助言するのが法務稼業である僕の仕事?
いやいや、そうじゃないよね。仕事が完成したら彼女は死んでしまう。
とにかく今回は中途半端な説明にして、「詰めの部分は今後の課題」という落としどころに持って行ったのが、しょせん僕の能力の限界でした。
あのとき連絡先を聞いていればよかったのに。
クリスマスの頃、あの子はあれからどうなったかなと気になっていたのに。
連絡先を聞けなかったのは、僕が男で、彼女が若い女性だったからです。男としての遠慮がありました。浅はかでした。
そして、計画は止められませんでした。
その年の終わり、つまり1月1日のはじまりとともに彼女の人生が終わったことを知ったのは、年明けに届いた彼女からの手紙を読んだ時。
信じられなくて僕は彼女に電話をし、自宅に行っても反応がなく、彼女がこの世にいてくれることを祈りながら何度も電話をしましたが、計画が終わったことを翌日になって知りました。
手紙の消印は12月28日。そして小さく、携帯の電話番号が書いてありました。
もし手紙が年内に届いていたら。
そして僕がその手紙を読んでいたら。
僕は彼女に電話をして、この世にいてくれるように懇願した。
でも手紙が届いたのは年明けでした。
その後、彼女の日記を読んで、その気持ちのほんの一部に触れることができました。
職場での対人ストレス。孤独感、不安、愛情への渇望、自分の存在を認めない社会への絶望、自分自身への何か。そして、子どもだったときに親からされた壮絶な風景。
彼女がSNSで僕たちに残した最後の言葉です。
好きと愛してるの違いは何か?
花が好きという場合花を摘むだろう
花を愛するという場合世話して毎日水をやるだろう
あの場所で、彼女が最後の風景を見たであろうその階段を見上げると、僕は首の後ろが冷たくなります。
あの高い場所から、この寒空を見て、彼女は何を思ったのか。
と昨夜も考えました。
この人気のないアスファルトの駐車場を彼女は見下ろしたんだよな。
そこまで追い詰めたものがなんだったのか。
毎日、世話をしてほしかったんだよね。
水がほしかったんだよね。のどがかわいていたから。
僕も親だから、ちゃんと毎日、様子を見て、必要なときにはお水をあげないとね。
それだけでよかったんだよね。そうしてもらえればこんな寒いところに来ないですんだよね。
お金を稼ぐより、将来の収入より、学歴より、世間体より、大事なものがあったよね。
ただ喉がかわいただけ。水が欲しかっただけなのに。
肥料をくれたって意味がないよね。
あのとき、気がついてあげれなくてごめんなさい。
誰も助けてくれない。誰も気にかけてくれない。
って日記に書いてあったけれど、僕はとってもとっても気にしていたよ。
そのことに気がついてもらえてたらな。
もう遅いけど、おかげで僕は少し変わりました。
法務業はほどほどに、今は役立たずの心理カウンセラーをしています。
「好きと愛してるの違い」
知って欲しかったよね。
考えてほしかったんだよね。
僕にできることなんて、たかが知れているけれど、僕にできる方法で誰かに伝えていこうと思います。
親になった皆さん。
いっしょに考えて欲しいです。
好き嫌いじゃなくて、愛してあげましょう。
毎日お世話をして、必要なだけお水をあげましょう。
それより大事なことってありますか?