多くの人が頭を悩ませる"愛の定義"を、お話しましょう。
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エロスやアガペーなど愛は8種類ほどあるとも言われ、またある人は公正世界仮説(公正世界誤謬)的なものこそが愛であり摂理だ、といった価値観を持っていることもあります。
理想と現実のズレによるギャップを受け入れられない人ほど「認知的不協和」という矛盾から生じるストレス状態に陥り、元々愛だったものが独りよがりの愛ではないものへを変貌するケースも少なくありません。
人の数だけ愛はある、という論調がさらに混乱を招いている側面もあるようで、多くの人が「愛とは何なのか」「何をどのようにすれば愛を持てるのか、与えられるのか」「何を以て愛とするのか」の部分で大きな課題を感じていると思います。
そのような問題もこのブログでは取り扱っており、似たような悩みを抱える人は他にもいる、そしてそれへのヒントになれば幸いであると、記事を重ねてお伝えしています。
今回は具体的に定義づけをしていき、頭の中を覆っていた霧を晴らすお手伝いができればと思います。
まずは、基本的な部分からお話ししましょう。
愛とは、相手を思いやり、支え合い、共に成長していく絆、深い理解と信頼の基盤だと一般的には言われています。
愛は無条件の受容と献身、相手の幸せを願う気持ちです。時に苦しくても相手のために尽くす覚悟が愛、とされることもあります。
相手の自由を尊重し、互いに高め合う関係性で、愛は成長と変化を受け入れる柔軟さでもあります。
愛には欲望や嫉妬、依存心も含まれます。完璧ではなく、時に醜い面もあるのが人間の愛なのかもしれませんね。
愛には自己中心的な側面もあります。相手を独占したい、自分の思い通りにしたいという欲求も含まれるのです。
自己中心的な側面がある、相手を自分の思い通りにしたいと思う、それは本当に愛と言えるのか。これは難しい問いで、純粋な愛と自己愛が混在することも多いのかもしれません。
純粋な愛は相手の自由を尊重しますが、人間の感情は複雑で、完璧な愛は理想の域を出ないのでしょう。
聖人は"人間"には成し得ないとも言われていますが、聖人のような完璧な愛は理想であり、人間らしさには不完全さも含まれるものです。
不完全さこそ人間らしさなら、その不完全さや人間らしさを許せない人もいる。自分や他人の不完全さを受け入れるのは、人生の大きな課題の一つかもしれません。しかしそれが、結果として「個人が持てる大きな愛」へつながっていきます。
親が子どもへ向けるべき"愛"とは、我が子が弱くても、親の思い通りに動いてくれなくても、親側の感情や心を満たしてくれなくても「心を持った一個の他人」、自分とは違う存在なのだときちんと線引きをし、過干渉でも放置でもなくそれを受け入れ、歩幅を合わせ教え導いていく、ことでしょう。
親側がこれは愛である、と思って行動していても、受け取る側の子どもが愛だと認識できなければ、それは親側の独りよがりのものになってしまうでしょう。子どもの感じ方が大切で、理解される愛がなければ本当の安心感は得られません。
子どもへ向けるべき親の愛、とは。それが無いと、子どもにとって深い傷を残すことがあります。心の安全が奪われ、不安や孤独感が生まれてしまいかねません。
「子どもをうまく愛せていないとされる親」は、感情表現が乏しかったり、無関心であったりすることが多いです。子どもは理解されず孤立し、自己肯定感が低くなることがあります。
親子の関係において、絶対安全基地とは、子どもが心の安らぎを感じられる場所や存在のこと、子どもが無条件に愛され、受け入れられていると感じられる場所や人のことを指します。心の安定を保つために重要な存在で、信頼と愛情で支えられることで、自己肯定感や安心感が育まれます。
親が我が子を正しく愛するためには、まずは子どもを理解し、感情の共有や理解を大切にし、無条件で受け入れる姿勢が必要で、感情の共有や対話を心掛けていくことでしょう。
子どもに寄り添い、感情を表現することが重要です。また、コミュニケーションを大切にし、子どもの意見や気持ちを尊重する姿勢を持てるといいですね。
「等身大の我が子」とは、ありのままの姿や感情、価値観を持っていることを指します。特別な期待や幻想なしに受け入れることが重要です。親側の理想を押し付けることで、子どもは自分の本当の気持ちを表現できなくなってしまいます。
自分自身を見つめ直し、感情や思考を整理することが大切です。育成の目的と子どもの気持ちに寄り添う姿勢を持ち、共感的な関係が築けるように心がけましょう。
"会話と対話の違い"についても、多くの人が混同しているようです。会話は単なる言葉のやり取りですが、対話は相手の意見を理解し合い、深めるためのコミュニケーションです。
会話は情報交換に過ぎないことが多いですが、対話は感情や意見を深く理解し合うことで成長や共感を生むプロセスです。
衣食住を確保し、学校や仕事に行かせられればそれでいい、わけではありません。それは"産み落とした側の義務の範囲"です。
子どもの体と心のケア、そして「子どもにとって親が安心できる存在である、味方でいて理解者である」ことが求められ、先述の義務以上のことができて親の愛、と呼べるものになります。
友人知人の他人であれ、家族や我が子であれ、「相手をコントロールしないこと」「隠し事をしない(きちんと伝える)こと」に集約されるお話なのです。相手を自分の思うように動かしたい、それは自己愛や自他境界(バウンダリー)の欠如、または相手への無関心であるとされています。
苦痛が伴い続けているなら、どこかに目を逸らしている未解決の問題が隠れています。その未解決の問題を相手のせいにしたり自分のせいにしたりするのではなく、お互いに歩み寄り対話をしていくことができれば、さらなる愛が育まれていくかもしれませんね。