ー えんたくの、しずかな物語 ー
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その床屋に、俺は、三十年、通っていた。
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主人は、無口だった。
「いつものように?」と、聞く。
俺は、「ああ」と、答える。
それだけ。
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あとは、ただ、髪を、切る音。
しゃきん、しゃきん、と。
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会話なんて、いらなかった。
仕事で、家庭で、しゃべり疲れた俺には。
何も、話さなくていい、この椅子が、唯一の、休息だった。
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ある日、店に、貼り紙が、あった。
「今月で、閉店します。長い間、ありがとうございました」
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最後の日。
俺は、最後の客として、その椅子に、座った。
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しゃきん、しゃきん。
いつもの、音。
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切り終わって。
主人が、初めて、自分から、口を、開いた。
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「あんたが、初めて来たの、覚えてるよ」
「中学の、入学式の、前の日だ」
「お父さんに、連れられて、な」
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俺は、覚えていなかった。
そんな昔から、ここに、来ていたのか。
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「お父さん、無口な人だったろう」
「うちでだけ、よく、しゃべってたよ」
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え。
親父が?
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「あんたの話を、な」
「『うちの息子が、今日、こんなことを言った』『今日、こんな顔で、笑った』って」
「それは、それは、嬉しそうに」
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俺は、鏡の中の、自分を、見た。
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親父は、俺の前では、ほとんど、しゃべらなかった。
褒められた記憶も、ない。
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ずっと、認められていない、と、思っていた。
親父が死んだ、今でも。
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その親父が。
この、無口な床屋でだけ。
俺の話を、自慢していた。
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主人は、鏡ごしに、笑った。
「あんた、お父さんに、そっくりになったよ。後ろ姿が、な」
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俺は、店を、出た。
そして、その足で、家に、電話を、かけた。
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来週、中学に上がる、息子に。
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「来週、入学式の前にな」
「父さんと、床屋、行こう」
「いい店、探しておくよ」
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最後まで、読んでくださって、ありがとうございます。
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いちばん近くにいる人の、本当の気持ちほど。
本人の口からは、聞けないものです。
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照れだったり、不器用さだったり。
「言わなくても、わかるだろう」だったり。
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でも、わからないんです。
言われないと。
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私は、タロットで、
その「言われなかった気持ち」を、視ています。
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もう聞けなくなった人の心も。
すれ違ったままの相手の心も。
カードを並べると、別の形で、受け取り直せることがあります。
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対面では、ありません。
文章でご相談をいただいて、鑑定書という手紙で、お返しします。
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えんたく