私は長年親と別に暮らしてきました。私自身も40代となり団塊の世代付近である親もそれなりの年齢になってきています。元気なうちに親孝行をしたいとは考えているのですが、なかなか上手くはいかないです。なぜ親孝行が上手くできないのか考察してみました。
仕事でしょうか。私は毎日仕事をしています。たまには有休も取れます。土日も休みがあります。仕事だけでは親孝行できない理由にはなりません。男だからでしょうか。実家に帰っても母親とはよく喋りますが、父親とは一言二言交わすだけでそれほどお互い踏み込んだ会話はしません。男同士社会に出て独立したもの同士、子供の時と違って親の言うこと聞く必要がなく、それぞれ異なる意見もあって当たり前の状況が父と息子の関係と複雑に絡み合ってギクシャクしているのかもしれません。私も一応立派に社会人として働いているわけで、それを上から目線で指導するような父の話ぶり(しかも違う職業同士)があまり好みではないのもしれません。頭では息子は成人して社会人として真っ当に生きているとわかりつつも、いつまで経っても父にとっては子供なのかもしれません。
親のせいでしょうか。息子である私にしてみれば私もすでに40代のいい歳なので、60代70代の親世代も様々な人がいることを知っています。特に私は高齢者と多く関わる仕事をしているため、それこそ様々な感情を彼らに抱くことがあります。人ですから。医者にとって患者はお客様ですから、私も含めて大多数の医者は、昔の医者のような威張った態度はとりません。逆に患者さんの中には威張った人もいれば、いくら言っても薬の内服が守れない人、禁煙できない人、アルコールがやめられない人などいわゆる大変な人がたくさんいます。そういった人達の対応を医療従事者は数多くこなしているので、自然の高齢者の方々の性格というか人柄というかそういったものを認識することに慣れているのです。その目で親を見ると色々なものが見えてきます。基本的に老いては子に従えというのも正しいと思いますし、成人して20年以上も経つ人を子供扱いするのはやはり間違っています。親は自分の子供がいつまで経っても心配なので、自分が考える最良のアドバイスをする。それは一見正しいことのように思えます。でも、こちらからしてみると「俺にアドバイスするよりも自分の生活スタイルや考えを直してほしい」とか、「どんなに心配だからといって子供扱いしてしかも間違ったアドバイスしないでほしい」など思ってしまうこともあります。やはり親も子供の自立をしっかり受け止め、別々の社会人として尊重しあい、お互いに尊敬し合えるような自己研鑽をして欲しいです。
親孝行がしたい。具体的に何が親孝行なのでしょうか。今は年に2−3回程度実家に帰って会話を楽しんだり、昔話をしたりしていますが、もっと頻繁にたとえば月に一回程度?訪れれば親孝行でしょうか。誕生日や父の日、母の日にプレゼントをすることが親孝行でしょうか。おそらくどれも半分正解で半分不正解です。おそらく親孝行とは、親サイドは子供が親のことを親身になって気にかけていると感じることであり、子供サイドは小さい頃育ててもらった感謝の恩返しができていると感じられることなのだと思います。正直私は親が元気なうちに親孝行したいのですが、旅行に連れ出そうとしてもあまり行きたがらないですし、もちろん同居も困難です。たまに実家に帰って一緒に夕食をつまむのが現時点での最適解なのです。その時に昔話で盛り上がったり、健康の相談に乗ってあげたりするのが良さそうなので頻度を増やそうかと思ってはいます。でも社会人の私にとっては実現不可能ですが、本当は自分が実家に住んでいた時のような毎日の持ちつ持たれつというか、親に頼り切った生活を再現するのが親にとっては嬉しい事なのかもしれません。逆に私が親を面倒見るようになったら親としてはやはり不本意でしょうし、もちろん介護が必要な状況になったら不本意でも嬉しいのかもしれませんが、現時点で親はそれを望んでいません。そうなると親孝行したいけど、実際何が親孝行なのか。温泉に連れて行こうとしても行きたがらない、実家に転がり込むことは流石にできない。たまに行って会話を楽しむ程度にどうしてもなってしまっているのが現状です。親孝行がしたいという気持ちを理解してくれればそれでいいのでしょうか。
私の世代の親孝行は実はとても難しいのかもしれません。皆社会人であり面倒見る側も、見られる側もないためです。基本的にはその段階は社会人としてお互い切磋琢磨していくのが一般的なのであり、私のようにたまに夕食を共にするくらいの関係性の人が多いのだと思います。でも、そうこうしているうちに大病をしたりして親孝行が急にできなくなるかもしれません。親孝行とはなかなか難しいものだと感じています。何か新たな発見があればまた書いてみようと思います。