過保護って言われると、なんだかその教育方針ってどうなの?とモノ申されているみたいな気になる。
放任って言われると、細かいこと気にしていない風に思われて、考えがありそうだけど無責任みたいに思われている気になる。
そもそも論になりますが、誰かから何を思われてもいいというよりも、自分が正しいと思う選択をしているならそれでいいのです。なので、よその家からどう評価されてもそんなのは知らんでいいと思います。
で、過保護か放任か、これってどっちがいいの?
最近よく思いますが、「白黒ハッキリせよ!」的な考え方ってあまり好きじゃないです。曖昧だと意思決定していないみたいで、決断力のない人と思われがちなんだけど、曖昧でいいと思います。僕は。
曖昧って、臨機応変でもあるからね。
で、過保護か放任か、こんなのは状況ごとに変えていけばいいと思うのです。子どもが自分で何かやり始めたらそっと遠くから見守る、これを放任と言うなら放任です。子どもが困っていたら、「どうしたの?」と声をかけて近づく。
受験生って、ナーバスです。というより、人間ってナーバスです。
やっぱり、構われたくないけど、気にはかけて欲しい。
これが強めに波があるのが思春期なんだと思います。
ちょうど11歳~12歳の小学5~6年生にもなると、思春期真っ盛り。
そのあとの中1~中3への助走とも言えますが。。。
過保護の矛と放任の盾を持つ
子どもに接するなら、それなりの理論武装しとかないと辛い。
ポイントは過保護と放任を併せ持つってことだと思う。
<たとえばこんな風に>
・ある日の勉強シーンにて TAKE1
子「いちいちうるさい!」
親「あなたのためを思って、言ってるんだよ」
このやり取りでは、親に勝ち目がありません
・ある日の勉強シーンにて TAKE2
子「いちいちうるさい!」
親「お父さん(お母さん)はこうした方がいいと思う。でも、それは意見だから、あなたが自分で決めたらいいよ。で、こうした方がいいと思う理由だけ言わせて」
子「ウザいなぁ!」
親「ウザいのはよくわかるんだけど、お父さん(お母さん)の意見としては、●●なんだよね。選ぶのは、あなただから。そこは任せる。」
過保護に意見を言う=矛(親の意見を子どもに突きつけると言う意味で、矛)
選ぶのは子に委ねる=盾(親の意見が否定されることもあるが、そこに感情的にならずに親は親の心を守るという意味で、盾)
なんとなく、こんなこと言われなくてもわかるよって思いがちなのですが、
子どもと接するときって、油断してません?
もしくは軽く見てません?
子どもたちって、親のことをよく観察しています。
親が子どものことを思い通りにできる存在だと思っていたら、それは大間違いですよね。そう思っていなくても、例えば
「お風呂に入りなさい」
「勉強しなさい」
「ごはん食べなさい」
「着替えなさい」
「寝なさい」
なんてこと子どもに言いますよね?これ自体は別にいいと思うんです。
このフレーズに「早く」をつけると途端に問題になります。
「早くお風呂に入りなさい」
「早く勉強しなさい」
「早くごはん食べなさい」
「早く着替えなさい」
「早く寝なさい」
今すぐ的ニュアンスあふれる「早く」。
これって子どもを自分の支配下でコントロールしたいだけです。
「早く」が無ければ、「促し」です。
「早く」があれば、「強制」です。
過保護・放任の背景には「子どもを支配下でコントロールする」というものはありません。「意見の提案とその提案の選択を委ねる」ということだけです。
このあたりの親子関係をうまく創り上げることが、受験を通じてできれば
信頼関係も深まっていくと思います。