この時期(9月)は何かと不安が濃厚に溜まっていくものです。
夏休みも終わり、一発逆転爆伸びタイムはもうないと思っているから
かもしれません。(本当はいつだって伸びるんですが)
親はどんどん不安になってメンタルが削がれていきます。
【不安なこと】
・模試の結果がうまく出ていないこと
・過去問の得点率が低いこと
・何度やっても同じところで間違うこと
・朝勉に切り替えたが、起きてこない
・苦手が苦手のまま放置されている
などなど。数えたらきりがないです。僕もそうでした。
誰だって不安だと思います。当の本人(受験生)も不安です。
みんなケロッとしているようで、不安なのです。
いまやれることをやるだけ
僕の好きな映画に「8番目の男」という韓国映画があります。
陪審員の話なのですが、そこで出てくる容疑者が家で書いたメモが
話の流れを大きく左右します。
「頑張れば、奇跡がおきる」
ありきたりですが、グッときました。
努力の要素が多い中学受験は結果が必然で、奇跡なんて起こるものではないと
思っていました。でも、結局いくら勉強しても、本番の
コンディションや問題の内容に影響されると思うのです。
実力を出し切るには、何か自分を信じる糧のようなものが
必要だと感じてました。
この言葉、「頑張れば、奇跡がおきる」
一見陳腐な言葉ですが、結果が必然なんてなんだか傲慢でした。
結果はいつも偶然で、そこには奇跡が起きる隙間は十分にあると思います。
だから、頑張るのをあきらめてはいけない気がするのです。
不満を言うことに対して
不満を言うこと自体はガス抜きにもなるし、それはそれでいいのかもしれません。ただ、不満や愚痴を言い続けると、それがまるで本当のことのように自分で自分に暗示をかけてしまうのではないかと思うのです。
不満や愚痴はたまにはいいと思いますが、吐き出し方は大人として考えなければならないと思います。
自分に向けてもいけない、他の誰かに向けてもいけない、もちろん子供に向けてもいけない。と思うのです。
子どもの人生はまだまだつづく
僕は中学受験失敗した人です。親はがっかりしていたようですが、僕は地元の中学校に通えてホッとした記憶があります。中学受験に失敗したことは僕自身糧にはなりませんでした。その先に待っている高校受験や大学受験、いずれも失敗の連続ですが、新しい失敗が起こるたびに、次に進まねばということだけを考えていたからです。
親は、さらにがっかりしていたでしょう。でもこれは僕の人生だし、まだまだ先は続いているのなら、これを失敗というのはまだ早い、なんて思っていました。
「子どもの人生は、親の先にあるものだから、がんばれ」
と父が言っていたのをよく覚えています。
意外とこういう何気ない言葉の方が忘れず糧になるものだなぁと。
不安と不満を混ぜない
不安なことは、不安を語っても解消できないので、今のやり方を変えるか自分を信じて貫くかの二択しか解決方法はないものです。
不満は、生きていると産まれてくる心の沈殿物のようなものなので、適宜取り除くといいものです。親だってリラックスしてリフレッシュすればいいし、それができないなら、逆にストイックに出題分析すればいいと思います。
大切なのは、不安と不満を混ぜて壮大なネガティブを作り出さないこと。
しんどいのはみんな同じ、しんどいのは子どももしんどい。
そう思うのです。