昭和のバレー部・地獄と救済の記録

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コラム
中学校の部活動という逃げ場のない日々。
そこで繰り広げられたのは、まさに「地獄」そのものでした。
ですが、今振り返ればそれは、もはや笑うしかないほど理不尽な「コメディ」の連続でもありました。

昭和のバレー部、鉄の掟

 私が入部した頃のバレー部は、一見すると平和な「弱小校」でした。
しかし、その内部には先生の指示とは無関係な、生徒の間で脈々と受け継がれた「伝統」という名の、呪いがはびこっていました。 

その最たるものが、「下級生は水を飲んではいけない」という鉄の掟です。

真夏の練習でも容赦ありません。
上級生は休憩時間に一目散に蛇口めがけて水を飲みに行きますが、一年生は乾いた喉で粘り気のある唾液を飲み込むことしか許されませんでした。

あまりの喉の渇きに耐えきれず、トイレに行くふりをして手洗いの水道の水を飲んでいました。
あの時に味わったぬるい水の味は今でも忘れることができません。

 校内はもちろん、支配は校外にまで及びます。
一年生と二年生は町で先輩を見かけたら、たとえ100メートル先であっても足を止め、直立不動で「こんにちはーっ!」と絶叫するのがルールでした。
それは中学生の部活というより、厳しい上下関係に縛られた、逃げ場のない息苦しい世界でした。

 鬼顧問の降臨

二年生になり、そんなぬるま湯の不条理が当たり前の日々に、ある日、激震が走りました。

地域最強校を率いていた、通称「鬼のS」と呼ばれる強面の男性教諭が異動してきたのです。

 S先生は、一目見ただけで「あ、これは詰んだな」と思わせる威圧感の塊でした。
身長180センチほどの巨躯に、短く刈り込んだ髪、その顔には70年代風の濃いレンズのサングラスが鎮座しています。
体育館の薄暗い中でもサングラスを外さない徹底ぶりは、まさに不条理の象徴でした。

彼が体育館の重い扉を開けて現れるだけで、空気の密度が物理的に変わり、サングラスの奥から射抜くような眼光が飛んでくる気がしました。

 「今日から、お前たちの顧問になるSだ!覚悟しろ!!」 

往復ビンタのメロディ

その日から、練習は凄惨を極めました。
ミスをすれば、即座にライン際へ呼び出されます。

そして、S先生の厚い掌が乾いた音を立てて頬に飛んできます。
あまりに不甲斐ないミスをすれば、それは右、左と流れるような往復ビンタへと昇華しました。 

右で意識が飛びかけ、左で現実に引き戻される。
あの絶妙なリズム感は、今思えばもはや打楽器の域に達していましたが、当時は頬が常に熱を持ち、自分の顔の造形が変わるんじゃないかという恐怖しかありませんでした。耳鳴りもしばらく続いたし。

S先生の暴挙は、我々の保護者が見学に来ている試合でも容赦ありませんでした。
「往復ビンタ」のメロディが会場に響き渡る中、見ている親たちも、される私たちも、そしてそれを黙認する空気も、今思えばとんでもなくシュールな光景でした。

静寂の中の「便意」自律神経の限界 

そんな極限状態が続くと、身体が先に悲鳴を上げ始めました。
それは練習中だけではありません。
部活動とは無関係なはずの授業中に、それは静かに、しかし確実にやってきました。 

静まり返った教室。先生のチョークが黒板を叩く音だけが響く中、不意に下腹部がぐるぐるする感覚。
じわじわと押し寄せる「いつトイレに行きたくなるかわからない」という逃げ場のない不安が私を襲いました。

 一度意識してしまうと、緊張で自律神経はさらに昂り、お腹は過敏に反応します。
冷や汗を滲ませながら、「バレー部であれだけ叩かれてるんだから、この程度の便意は気合でねじ伏せられるはずだ!」と謎の精神論で自分を鼓舞していましたが、あれはまさに私の内臓が発していた精一杯の抗議だったのでしょう。

のちに病院で検査して、「過敏性腸症候群」と診断されることになります。

 優しいM先生と、炎天下の救済 

荒ぶるS先生の様子をただ黙って見守るしかなかったのが、元々顧問だったバレー経験者の女性教諭、M先生でした。

実績のある鬼のS先生の前では、彼女もまた逆らえない「組織の歯車」でした。
S先生が怒号を上げ、ビンタを飛ばすたび、M先生は申し訳なさそうに視線を落とし、唇を噛んで耐えていました。

ある猛暑の日、私の視界がぐにゃりと歪みました。身体がついに悲鳴を上げた瞬間でした。 
地面がせり上がってくる感覚と共に、私は埃っぽい地面に崩れ落ちました。

熱中症でした。

 真っ先に駆け寄ってくれたのはM先生でした。
S先生は遠くで不機嫌そうに腕を組んでいましたが、M先生はなりふり構わず、地面に横たわるわたしを介抱してくれました。

「ごめんね、助けてあげられなくて……。誰か、水持ってきて!」

灼熱の太陽の下、地面の熱さを背中で感じながら触れた彼女の優しさを、私は一生忘れることができません。

 サングラスの鬼が残した言葉

 そんな地獄の日々を、なぜか誰一人辞めることなく完走し、迎えた卒業の日。 
あんなに怖かったサングラスのS先生が、私たちに色紙をくれました。
そこには、これまでの怒号からは想像もつかない言葉が書かれていたのです。

「ヘトヘトになるまで精一杯アタックした自分を褒めてあげなさい」

 当時は、「どの口が言うんだ! この暴力教師が!!」と憤り、感動の欠片もなく鞄に突っ込みました。そして、しばらく保管したのちに捨ててしまいました。

 しかし、大人になり、社会の理不尽な波に揉まれたとき、ふとあの言葉が響きました。
あの地獄を生き抜いた事実は、今の自分を守る最強の武器になっているのだと。
そして先生は、私たちが社会で負けないように、あえて厳しく接していたのではないか。。そう思えるようになったのです。

時を経て、この話を友人に披露したところ、大爆笑されました。
 「それ、典型的な『悪人は最後にいいことをして印象を操作する』っていう手口じゃん!」

 確かにそうかもしれません。
あれだけの苦痛を与えておいて、最後の一言で「いい話」に持っていこうとするのは、あまりに勝手で完璧な悪役の演出です。

かけがえのないもの

最後までサングラスを外さなかったS先生の真意は、永遠の謎です。
 けれど、自律神経を乱し、授業中の便意に怯え、往復ビンタに耐え抜いたあの日々が、今の私のかけがえのない財産になったのは事実です。 

私は今、あの色紙に書かれていた言葉通り、当時の自分を心から褒めてあげたいと思っています。
あの過酷な日々を必死に生き抜いた経験があったからこそ、私は人生最大のがんという病の苦悩も、そして大切な人との別れも、すべて乗り越えてくることができたのだと確信しています。

あの時、ヘトヘトになるまで泥臭くアタックし続けた日々は、今も私の心の中で消えない光となり、前を向くための大きな力になっています。
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