歪んだ正義と組織の影、そして訪れる因果応報

歪んだ正義と組織の影、そして訪れる因果応報

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コラム
職場で「理不尽な攻撃」に直面したとき、私たちはその理不尽さ以上に、相手がまとう「歪んだ正義感」に困惑させられます。いじわるやパワーハラスメントに及ぶ人々の多くは、驚くほど「自分は正しい」と確信しているものです。「会社のため」「部下の成長のため」という大義名分を掲げますが、その本質は、相手の立場や痛みを想像できない視野の狭さにあります。

かつての悪習を美化し、「残業こそが企業の成長であり、全員の幸せに繋がる」と本気で曲解しているケースも少なくありません。こうした想像力の貧困さは、組織の空気を確実に淀ませていきます。さらに厄介なのは、これらをすべて「計算」で行う狡猾な策略家です。彼らは自分の立場や成績、昇進のためにハラスメントを道具として使います。

私自身、過去の失敗をいつまでもネチネチと責め立てる上司からのパワハラを受け、残念ながら鬱を患いました。逃げ場のない日々の中で心が削られていく苦しみは、経験した者にしかわかりません。「今にして思えば、あの時、殴ってでも言い返せばよかったのかもしれない」――そんな激しい悔恨が頭をよぎることもあります。ハラスメントを受ける側にも「脇の甘さ」があったのではないかと自省を促す声もありますが、追い詰められた人間をさらに責めるのは酷というものです。

皮肉なことに、部下の失敗を嬉々としてやり玉に挙げ、自らの有能さをアピールする人物ほど、組織では出世しやすいという不条理な現実があります。逆に、部下の失敗を我が事として一緒に謝れる器を持った誠実な人が、出世街道から外れてしまう。それはその上司個人だけでなく、評価基準が狂ってしまった組織の上層部全体が抱える深い病理と言えるでしょう。彼らが愛しているのは、会社でも部下でもなく、「自らのブランド」や保身に過ぎないのです。

企業も手をこまねいているわけではありません。制度としてはコンプライアンス窓口が存在し、こちらが誠心誠意話をすれば、会社側も何らかの配慮義務を課す動きは見せるはずです。しかし同時に、形ばかりの対策に対する疑問も拭えません。例えば、毎年義務付けられている「ストレスチェック」に、一体どれほどの意味があるのでしょうか。ただ「やっただけ」「やったつもり」で満足し、そこから実効性のある対策を打ったという事例を、私は未だかつて聞いたことがありません。

この深い闇の中で、私は痛烈な教訓を得ました。それは、「結局、自分を守れるのは自分しかいない」という冷徹な事実です。

大前提として、ハラスメント加害者を変えることはできません。屈辱感に唇を噛む日もありますが、まずは表面上で相手を立て、落としどころを探りながら、決定的な証拠を着実に集めておくことが賢明です。

なぜなら、どれほど計算高く立ち回るサイコパスのような上司であっても、天網恢々疎にして漏らさず、因果応報の時は必ず、そして極めて残酷な形で訪れるからです。

悪因は必ず悪果を結びます。結局、その上司は異動先の別の職場でも、その傲慢な本性を抑えきれずに同じ過ちを繰り返しました。しかし、次の被害者は黙ってはいませんでした。怒りに震える部下全員が辞表を手に本社へと乗り込んできて大騒ぎする事態となり、それまで積み重なっていた彼の悪行が一気に白日の下に晒されたのです。

「パワハラ加害者」という拭い去れない烙印を押された彼は、自らがしがみついていたブランドもプライドもすべて剥ぎ取られ、会社から遠く離れた関連会社へと静かに左遷されていきました。他者を踏み台にして貪った栄華の、これが哀れな結末です。

いつか風向きが変わる瞬間を、牙を研ぎながら静かに待つこと。他人の心を壊した者に待つ因果の報いを見届けるその日まで、私たちは冷静な策略家として、何よりもまず「自分自身の心と身体」を最優先で守り抜かなければなりません。

                          沙門蒼俊  合掌
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