『みんな、ちょっと聞いてくれ』
店長の声が、待機中のフロアに響いた。
『今日から入った蘭子さんだ。
初めての仕事だから、色々教えてやってくれ』
『よろしくお願いします』
現れたのは、少し落ち着きのない目をした女の子だった。
どこか強気で、
どこか不安そうで。
その瞬間——
美月は、妙な既視感を覚えた。
『先輩!』
突然、蘭子が駆け寄ってきた。
『えっ……先輩?』
『白百合学園ですよ!一年後輩の井上です!』
思い出せない。
けれど、確かに同じ場所にいた。
『先輩、有名でしたよ』
その言葉に、少しだけ引っかかる。
何の意味で——?
続きを聞こうとした瞬間、
『おい、そこ!うるさいぞ!』
店長の怒鳴り声で、会話は途切れた。
その夜は、
ゴールデンウィーク前ということもあり、
店は息つく間もなく忙しかった。
気がつけば、深夜。
仕事を終えた美月たちは、
そのままバークレーへ向かった。
静かな店内。
いつもの空気。
『新人さんの手相、見てもらいましょうよ』
美涙の一言で、
その場の空気が少し和らぐ。
ママは蘭子の手を取り、
しばらく黙って見つめた。
そして——
ほんの少しだけ、表情が曇った。
『……波乱万丈ね』
蘭子の顔から、酔いが消えた。
『男運も……少し気をつけた方がいいわ』
その言葉に、
誰も軽く笑えなかった。
『でもね』
ママは少しだけ優しく続けた。
『夜の世界に来る子は、
みんな何かしら抱えてるものよ』
その言葉に、
美月は何も言えなかった。
——確かに、そうかもしれない。
誰もが、何かを背負ってここにいる。
『私、やり直したいんです』
蘭子がぽつりと言った。
その言葉が、
妙に重く響いた。
『大丈夫よ。みんながいるから』
美涙の声は、変わらず優しかった。
しばらくして、
場の空気が少しだけ軽くなった頃——
『そういえばさ』
美月がふと思い出したように言った。
『私の“悪名”って何だったの?』
その言葉に、蘭子が笑った。
語られるのは、
学生時代の他愛もない噂。
けれど——
それは同時に、
“昔の自分”を思い出す時間でもあった。
無邪気で、
何も知らなかった頃の自分。
そして今。
まったく違う場所に立っている。
その時だった。
静かな店内に、電話の音が響いた。
『……はい、バークレーです』
受話器を取ったママが、
美涙の方を見た。
『美涙さん、店長から』
『こんな時間に……?』
受話器を取った瞬間、
美涙の表情が変わった。
『……え?』
その一言で、
空気が凍りつく。
何かが起きた。
そう感じるには、十分だった。