『それでねサーさん、しつこいようだけど
雅子とその赤ん坊をどうするおつもりですか?
雅子が小さい時から浅草一の芸妓にするって私は夢みてましてね。
私財を投げてもいいくらいの覚悟であの子には贅を尽くした着物を作ったり
お稽古させたりしてお金と時間をどんなに費やしたかしれません。
それでこれからという時に妊娠なんて青天の霹靂もいいところですよ』
『もし本当に私の子であればこの世でたった一人の子供ということになる。
今まで飽きるほどいろんな女と関係をもったが一度として身籠ったという話しを聞いたことがない。
だから俄かに信じられんだろう』
『それなら尚更、子供が欲しいはずですよね。
雅子の事を頼みますよ。
あれは素直で優しい子だからきっとサーさんのいい奥さんになると思いますよ』
『ちょっと待ってくれよ女将、俺は結婚するなんて一言も言ってないしそんなつもりもない。
今のままの生活が気に入ってるからね。
ただ子供は別だ。
男にせよ女にせよもし俺の血が流れているのなら面倒を見ることになるだろうね。
ただな、まだ信じられん。一度雅子に合わせてくれ』
『私から雅子にはよく言い含めますからちょっとの間、時間をくださいな。
それにお座敷も当分の間、休ませますからご心配なく』
『そうか、頼むよ、雅子にはまたいずれ会うことにしよう。
くれぐれもお腹の赤ん坊を大事にするのだと伝えてくれ。
後、せいのつくもんでも食べさせてやってくれ、
そうだ、そうだ、今手持ちがこれしかないが』
と櫻木は分厚い財布から札束を無造作に取り出して女将に渡した。
『まあ恐れいります』
と何の躊躇もなくその札束を受け取り隙間もないくらいの帯の奥へと無理矢理押し込んだ。
『じゃ女将連絡を頼むよ』
『分かりました。またご連絡させてもらいます』
女将は帯の膨らみを意識しながら櫻木との会話を思い出し手応えを感じた。
今日はすき焼きにでもしよう。
牛肉は一番上等のにして雅子と一緒に食べようか。
金の卵を生んでもらわないといけないからねぇ。
と女将はひとりほくそ笑んだ。
その夜、櫻木邸の居間には先代から仕えている猪野という秘書が呼ばれていた。
『今日、信じられない話しをいきなり聞かされたよ。
さっきまで『蔦乃屋』に居たのだが女将から雅子が妊娠したという話しで
それが俺の子だと言うのだがどう思うかね?』
『そんな話でしたか?予定が急に変更になったのでどうされたのかと思ってましたが、
また妊娠というのは本当でしょうか?』
『信じていいものか私には分からん。
ただの金目当ての言い掛かりかもしれんし
先代から馴染みのある『蔦乃屋』の女将が根拠のないことをわざわざ言うとも思えん』
『そうですね。それでは宇木先生に一度ご相談されたらいかがでしょうか?』
『そうだな、宇木先生に相談して調べてもらってくれ、話しはそれからだ』
宇木先生というのは櫻木家の顧問弁護士で長年の付き合いだった。
それから暫くして宇木先生から今回の妊娠騒ぎの結論が届いた。
先生から依頼された探偵によると雅子にはこれという男も見当たらず
今まで浮いた噂もないようなのでまずお腹の子は櫻木の子供に間違いないということだった。
今のようにDNA鑑定ならばもっと確実なのだが当時ではそうもいかない。
状況判断で判断するしかなく信憑性には遠い話しだが
櫻木はその報告を聞いて実は小躍りした。
この世に自分の血を分けた子供が宿ったことに感謝した。
そうなると居ても立ってもいられなくなり無性に雅子に会いたくなった。
翌日早々に『蔦乃屋』の女将に電話をした。
『もしもし女将か、櫻木だ』
『あらサーさんおはようございます。
こんな朝早くからどうされたのですか?』
『この前の話だが雅子に会わせてくれ、どうしても話したいことがある』
『まあまあサーさんそんなに慌てなくても雅子は逃げませんよ』
『女将、聞いてるのか?いつなら会わせてくれるのだ』
『分かりました、そこまでおっしゃるのでしたら本日の夕方にいらっしゃいませんか?
ただね、サーさん私も同席させてもらいますよ。
雅子はまだ気持ちが動転してましてね』
『分かった、今日の6時頃行くから雅子にそう伝えてくれ』
『はい、お待ちしてますわ』
と電話を切った。
女将の本音は櫻木に雅子だけで会わせたら
何を言い出すか分からない。
雅子が望んで妊娠した訳ではないということが分かっていたからである。