『ねえ雅子、具合はどうだい?』
『すみません、おかあさん、立ってられないほどふらふらして気持ちが悪くて
私どうかしたのでしょうか?』
雅子の顔は青ざめ食欲もなくここ数日臥せっていた。
『それは悪阻っていってね、別に病気じゃないから安心をし、
後1ヶ月もすれば嘘のように良くなるものなんだ。
ちょっとの辛抱だよ』
『えっ、1ヶ月も?』
雅子は辛くて涙が出そうだった。
おかあさんは私に任せなさいの一点張りで
日を増すごとに体調が悪くなって
このままどうなってしまうのか不安と憤りの毎日だった。
でもこれが自分の運命だと心のどこかで諦めに似た感情もあった。
というのも雅子には帰る家がないと分かっていたからだった。
『そうそう今夜サーさんいらっしゃっるから
そんな辛気臭い顔してないで風呂でも入っておいで。
それにいつもより念入りにお化粧して口紅も明るめにするんだよ。
サーさんに愛想尽かされたら元も子もないからね』
『今夜ですか?それでサーさんに妊娠の話されたのですか?
サーさんは何て?』
と雅子は立て続けに聞いた。
『雅子ちょっとおだまり!
私に任せとけば悪いようにしないから安心をし、
今夜だって私が同席するという条件で来てもらうの。
あんたは何も言わなくていいから』
『ええ、、、』
『何だねこの子は急に涙ぐんでさ、しっかりしなさい!
今夜、雅子の将来が決まるかも知れないんだ。
あんたには幸せになって貰いたいのさ。
そんな親心を分からないのかい。
さあさあ涙を拭いて顔を洗いなさい』
『はい、おかあさん、面倒かけてすみません』
と女将さんが席を立つと同時に
とうとう雅子は今まで我慢していた分
涙が次から次へ止まらなくなった。
今夜、自分の将来が決まるというのは
どういうことだろうか?
まさかサーさんと結婚するということなのだろうか?
それともこのお腹の赤ん坊をどうするかという話し合いなのだろうか?
不安を胸に抱きながらお風呂へと急いだ。
そしてその夜。
『サーさんどうぞ。お待ちしてましたわ。奥の座敷へどうぞ』
『。。。』
と櫻木は心持ち渋い顔をしながら奥座敷へと行った。
『今晩は。お久しぶりです』
『おお、雅子か、どうだ体調は?』
『ええ、ちょっと悪阻がひどくて、、、』
『まあ雅子、サーさんいらしたばかりでそんなこと言うもんじゃないよ。
心配されるじゃないの』
『女将いいんだよ。今日は雅子にどうしても聞きたいことがあるからきたんだ。
それにしてもちょっと痩せたかもしれんな。食欲ないのか?』
『ええ』
『ここしばらく悪阻で食べられなかったようだけど一時のことですよ。
この時期を過ぎれば食欲も出て元気になりますって』
『そういうものなのか、それで婦人科の医者には行ってるのだろう』
『ええ、もちろん、母子共々元気で順調だそうですよ』
『そうか、それはよかった』
『それでサーさんお話って何でしょうか?』
『単刀直入に聞くが雅子、その赤ん坊は俺の子に間違いないよな?』
『サーさんまだお疑いですか?』
と女将は呆れるような声で言った。
『俺は雅子に聞いてるのだ、さあ返事をしないさい』
『サーさんの子に間違いようがありません』
と雅子は蚊の泣くような声で答えた。
『そうか、安心したよ。
それで雅子は赤ん坊のことをどうするつもりなのか聞きたかったんだ』
『どうするって?』
また女将はすかさず言葉を繋いだ。
雅子とこれ以上話させないためである。
『だから生んだ後のことだ。ここで育てるって訳じゃないだろう』
『ここで育てちゃいけない事でもあるのかしら?』
『女将!何を寝ぼけとる。俺の子供をこんな花街で育てる訳にはいかんだろう』
『サーさん訳、訳って言ってますが私達はこの商売にプライドを持って仕事をしてます。
どこが「こんな」なんでしょうかねぇ』
女将さんは櫻木のあまりに直情的な言い方に腹をたてた。
『言い方が気に障ったら謝るよ。俺が言いたいのは花街が悪いと言ってるのじゃなく
もっと違う環境で育てたほうがいいのじゃないかと言ってるのだよ』
『違う環境ですか?例えばどんな環境ですか?教えてくださいな』
『例えば、そうだな、どこかマンションでも借りてそこで育てるっていうのは
どうだろうか?』
『マンションを借りてですか?サーさんともあろう人が、、、』
『女将なんだね。嫌味な言い方じゃないか、言いたいことがあるならはっきり言ってくれ』
『桁外れの資産家のサーさんでしたら一戸建てで庭があって子供はその庭で遊べるくらいな環境を作ってあげるくらい簡単なことじゃないですか?
もっと子供のことを思うのならそれくらいのことは覚悟しないといけないでしょうね。
それに子供を育てるにはお母さんも安定した暮らしじゃないと
子供に影響するでしょ。私の言ってること間違ってますか?』
『そうか、一戸建か、、、』
『あの、おかあさん、ちょっといいですか?』
とずっと黙っていた雅子が小声ながらも突如として口をきいた。
『雅子は黙ってらっしゃい』
『いいんだよ。何か話したいのかい』
『ひとつお聞きしたいのですが
あのー、サーさんと私、結婚するということでしょうか?
それで一戸建てに住むということで話されているのですか?』
『雅子、それはまた落ち着いたら話そうと思っていたんだけどね。
サーさんは結婚には消極的でね』
『すまん、このことははっきり言っておかないといけなかったね。
結婚する意志はないと思ってくれ、そのかわり生活の面倒は見るから安心してくれ』
『そうですか。じゃ子供と二人で暮らすってことですね』
雅子は結婚する訳ではないと知り
心のどこかで喜びの声をあげていた。
でもそんな顔を見せてはいけないと強く唇を噛んだ。
その夜から不思議なことに
体調も少しづつ改善され
良く眠れるようになった。
神様はまだ私を見捨てた訳じゃなかった。