『もしもし櫻木さんお久しぶりです。
私、浅草の蔦乃屋ですが今、よろしいでしょうか?』
『おお蔦乃屋の女将か、珍しいじゃないか?
どうしたんだね』
『ちょっとお話したいことがあって一度お会いできませんか?』
『何か知らんが電話じゃだめか?
こう見えても貧乏暇なしでな』
『櫻木さんのためにお会いしたいと思うのですが、、、いかがでしょうね?』
『そうかぁ、何の話か知らんがまあ少しなら時間が作れそうだから
今夜8時に蔦乃屋さんへ行くとしよう』
『8時ですね。ぜひお待ちしてますわ』
浅草の置屋さんは当時数十軒もあり
その管轄が見番といって組合のようなものである。
そこでお線香代1本分いくらにするといったような
協定を結ぶのだ。
だからどの芸者さんを呼んでも相場が決まっていた。
ただ直接の心付けは別勘定だったので
そこは芸者の腕の見せ所だった。
ちなみに 「お線香代」というのは時計のないころにお線香1本が
燃え尽きるまでの時間の料金という意味だったらしい。
『蔦乃屋』は今の女将さんで3代続く置屋だった。
お抱えの芸者さんは3人で一番若いのが雅子だ。
雅子は多摩の寒村の生まれで2人兄弟で下に弟が1人いた。