(1)問題
次の文章を読んであなたが考えたことを述べなさい。(600字)
① 映画やドラマといった映像作品を含むさまざまなメディアの娯楽を「コンテンツ」と総称するようになったのは、いつ頃からだつたか。こうなると、「作品を鑑賞する」よりも「コンテンツを消費する」と言ったほうが、据わりはよくなる。
② ここで、言葉の定義を明確にしておこう。
③ 「鑑賞」は、その行為自体を目的とする。描かれているモチーフやテーマが崇高か否か、芸術性が高いか低いかは問題ではない。ただ作品に触れること、味わうこと、没頭すること。それそのものが独立的に喜び・悦びの大半を構成している場合、これを鑑賞と呼がことにする。
④ 対する「消費」という行為には、別の実利的な目的が設定されている。映像作品で言うなら、「観たことで世の中の話題についていける」「他者とのコミュニケーシヨンが捗(はかど)る」の類いだ。食事にたとえるなら、「鑑賞」は食事自体を楽しむこと。「消費」は栄養を計画的に摂るため、あるいは、想定した筋肉美を手に入れるという実利的な目的を達成するために食事をすることだ。
⑤ 「鑑賞」に紐づく「作品」という呼称と、「消費」に紐づく「コンテンツ」という呼称の違いは、"量″の物差しを当てるか、当てないかだ。
⑥ contents(コンテンツ)が「内容物」や「容量」の意味であること、新聞などがいまだに「コンテンツ(情報の中身)――などと説明するように、また「コンテンツ」が電子媒体上の情報や制作物を指し示すことを皮切りに言葉として浸透した経緯からして、「コンテンツ」という呼び方には、数値化できる量(データサイズや視聴に必要な時間)に換算して実体を把握しようという意志が、最初から織り込まれている。それゆえ、「短時間」で「大量」に消費できることで得られる快感が、視聴満足度に組み込まれうるのだ。
⑦ しかし「作品」は"量″を超越する。"量″の物差しを拒否する。鑑賞に要する時間と得られる体験を、即物的な費用対効果で考えたりはしない。鑑賞後何年も経ってから、まるで時限爆弾のようにインスピレーションや啓示が爆発することもある。「実利的」「有用性」を求める意志が、高い優先度では組み込まれていない。「作品」の良し悪しの基準をあえて設定するなら、「鑑賞者の人生に対する影響度」とでも言うべきものになるだろう。それは数値化できず、他の鑑賞者にまったく同じ影響を及ぼすことはない、という意味において、再現性も皆無だ。
(『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタパレ――コンテンツ消費の現在形』著者稲田豊史 光文社新書
※題名棚には題名を記入すること。
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