母ひとり子ひとり③

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コラム

母子家庭と肥満

新聞配達は台風のような天災に見舞われると、営業所に新聞が到着するのが遅くなる。
災害が起これば、その記事を新聞に載せる為に記事の差し替えが行われたり、事故や渋滞、交通網が寸断されたりするのが原因だ。

そんな状況になっても新聞配達は休みにはならない。
配達員は新聞が営業所に届くのを、ひたすら待ち続ける。
待ち続けて、待ち続けて、ようやく届いた新聞を、絶望的な大雨の中、なるべく濡らさないように気を付けながら、一軒一軒配達して回る。

そんな激務をこなして、ずぶ濡れになりながら、ようやく家の玄関を開けると、息子から一言「腹減った~」と声をかけられる。
当時は理不尽だと思っていたが、今思い返してみれば、トシコが「今から作るわ!!!」とブチギレしたのも納得である。

まだ、汚れを知らない幼気な少年だった頃。
台風で新聞が遅れた時に、近所のおばさんが私の事を心配して「お腹空いてない?おばさんちでご飯食べる?」と聞きに来てくれた。
それに対して「お母さんは、ご飯を食べずに雨の中で、お仕事頑張ってるから僕も食べない」と、私は答えた。
その母親を思う息子の姿に感動して、後日、おばさんが涙ながらにトシコに話してくれたそうだ。
このエピソードが何歳ぐらいなのかは覚えていないが、小学生になったあたりから、完全に母親に対する気遣いよりも食欲の方が優先された。

そんな腹を空かせた“ヒナ鳥”のような私の食欲を満たすために、食料が備蓄されるようになった。
レトルト食品、インスタント食品、スナック菓子。
“不摂生の三銃士”は常に我が家に常駐することになった。
「お腹が空いたら、これを食べればいいから」
新聞が遅れそうな時、トシコは私に、そう言葉をかけて学校に送り出した。

小学生が好き勝手に食べたい物を食べれるようになると、当然のように食生活が乱れてくる。
学校から帰ると、おやつ代わりにカップラーメンを食べたり、夕飯の直前にスナック菓子を食べたりするのが当たり前になっていった。
それに比例して、食卓からは野菜が姿を消していった。
私があまり食べたがらないのも理由のひとつだが、野菜は調理に手間がかかる。
皮を剥いたり、刻んだり、ゆでたりと、料理になるまでの工程が多い。
トシコが仕事から帰ってきて料理を開始していたら、とても私の空腹には間に合わないのだ。
そんな野菜料理の代わりに食卓に並んだのは、大鍋で作れる煮込み料理や揚げ物だった。
作りだめができる煮込み料理は温めるだけで晩御飯の支度ができた。
冷凍食品のフライは、揚げるだけで晩御飯の支度ができた。
“食育”という言葉が当たり前になった現在では、あまりにも非常識なメニューだろう。
しかし、当時のトシコにとっては、家事をする時間の確保と、翌日の仕事の英気を養う時間の確保と、息子の食欲を満たす方法は、これしか無かったのではなかろうか。

こんな生活をしていれば、当然のごとく健康体ではいられない。
幼少からぽっちゃり体型だった私は、年を重ねる毎に体重を増やし、学年ナンバーワンの肥満児ポジションを不動の物にする。

私の幼少の頃の話をすると、「なぜ、貧乏なのに太っていたのか?」と聞かれることがある。
私から言わせれば、貧乏だったから太っていたのだ。
愛情をかける時間を取れなかったトシコは、腹一杯に食わせることでしか、親としての務めを果たせなかったのだ。
すべての愛情を食べ物に全振りした結果が肥満児だったのだ。

他人からすれば育児放棄だ、親としての責任を果たしていない、とみなされるかもしれない。
しかし、私は自身は、間違いなく私に対する愛情だったと思っている。
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