母ひとり子ひとり②

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キイチ
何か月かに一度、キイチという男が家にやってきた。
キイチは自分の車にトシコと私を乗せて、街はずれにある中華料理屋に連れて行くのが定番だった。

中華料理屋に向かう車中で、いつも不思議に思うことがあった。
トシコがたばこをくわえ火をつけると、そのたばこをキイチにくわえさせる。
大人になったら、そういうものなのか?
幼い私は、その行為の意味を聞くことができないまま、ぼんやりとながめていた。

中華料理屋につくと、キイチは「好きなもの頼んでいいぞ」と私に言う。
私にとって、唯一お金の心配をせずに、好きな物を注文できる時間だった。
なぜ、このおじさんはトシコと私に、ご飯をごちそうしてくれるのだろう?
不思議だったが、あまり深くは考えなかった。
それを考える事、たずねる事はトシコを困らせることになる。
なんとなく、そんな予感がして、それ以上考えないようにしていた。

お腹いっぱいに、食べたい物を食べられるのは嬉しかったが、キイチの事はあまり好きではなかった。
トシコにとっては親しい人間なんだろうが、私にとっては赤の他人だった。

キイチが好きになれなかった、一番大きな理由が酒癖の悪さだった。
キイチは車で出かけたにもかかわらず、中華料理屋では毎回酒を注文する。
まずレバニラ炒めとビール。
そこから1、2時間グダグダと酒を飲む。
酔うにつれて、キイチは声がでかくなり、しつこくなり、私の嫌がることを、よくやった。
運転中にハンドルから手を放し「ぶつかる!ぶつかる!」と、私を怖がらせて、泣き叫ぶ私を見て、ゲラゲラ笑いながら喜んでいたのは最悪だった。
そんなキイチの職業がタクシードライバーだったことは、今でも信じられない。

小学校の3年か4年の頃、キイチがピリピリとした雰囲気で家にやってきた。
「ちょっと外に行ってな」とトシコが言うので、それに従う。
団地の前には小さな公園があり、そこで時間をつぶす。
家の中から漏れて聞こえてくる音声は、明らかに平和的なものではない。
キイチが出てきたので、家にもどると、顔を腫らしたトシコがいた。
「だいじょうぶ?」
そう尋ねると、トシコは「大丈夫だよ」そう言って台所に行き、冷凍庫から氷をだしてボウルに入れた。
氷水を作り、タオルを浸し、ギューっと絞ると、冷えたタオルを腫れた部分に押し当てて、何も言わなかった。

私は何も聞かず、散らかった物を片付け始めた。
床に落ちていた、固い表紙のアドレス帳。
その表紙が取れていた。
それを見て何があったのかを、なんとなく察した。

どうしてトシコは、こんな目に遭わなければならないのか。
理由を聞かなくても、その頃には、なんとなく予想ができるようにはなっていた。

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