「誰か(日本人)の言葉Ⅳ⁈💜」🎾🚴‍♀️⚔️🏓🏸🤿⛳😎😍

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💎哲学&思想&デザイン&お客さん

(一%の不良は一〇〇%の不良!)

昭和二十八年に、うちの新車につけたキャブレターの性能が思わしくなかった。そこで売ってしまった一万台の車のキャブレターをすぐ取り換えた。
この時、うちが取った処置が実に早かったし立派だったといってくれる
人がいるが、私はまだ遅かったと思っている。
お客さんにとっては、取り替えるのに一分しかかからなくても、
壊れれば遅いわけである。
待っている時間は永久に帰ってこない。
壊れることは、壊れない事よりも絶対に悪い。
それからもうひとつ考えなければいけないことがある。
それは、この工場の製品は、九九%の合格率だから素晴らしいとほめる人が
いるし、誉められて鼻を高くする人がいるという事である。
ところがお客さんは、自動車にしてもオートバイにしても、百台も買いはしない。買ってもせいぜい一台か二台である。
もしその一台の車に、残りの一%の悪い車が当たったとしたら
そのお客さんにとってその車は、一〇〇%悪いことになる。
だから工場というのは最低一〇〇%、
理想的に言えば一二〇%ぐらい合格しないと話にならない。


お客さんは進歩する!)

世の中には、お客さんから何も苦情が出ないから、
この商品はお客さんに満足されているという人がいる。
これは大間違いだと思う。
もし大部分のお客がそれで満足しているとしても専門家というか
それを作っているものが満足するというのではおかしい。
専門家は常に不満を持つべきだ。
また、不満を持たなければ進歩はない。
ましてお客の中の一人でも不満を感じたとしたら、
その不満がどういうところにあったかを謙虚に聞き
それに答えるのが当然である。
もうひとつ言いたいことは、
現在クレームがなくても、お客さんのレベルは日に日に進歩しているという事だ。
ひとついいものを見たり、使ったりすると今までクレームにならなかったものがクレームになるという事である。人間の価値判断というものは、
常に比較対照の中にあって、これでいいという極限というか
絶対値がないという事である。
これが商品を作るものにとっては、いちばん怖いことである。


(クレームゼロは完全無欠ではない!)

お客さんからクレームがないと、
技術屋というものは、完全無欠なものと思い込む癖がある。
人間誰しも、自分のやったことはよく見たい、という
気持ちがあるから無理もないがこれが危ない。
ところが、よそがそれよりもいいものをつくると、
お客さんは簡単に乗り移る。
そのうえ、いろんな車にひとつずついい部分があるとすると
あとから出てくる車に、それが全部はいっていないといい車だとは言わない。
お客さんというものは、頭の中で、自分の都合のいい車を勝手に組み立て
それが全部満足されないと感心できないというドライな進歩性を持っている。
無茶といえばずいぶん無茶な要求だが、だからといって、
おカネを出すのは向こうだから、ソッポを向くわけにはいかない。
そういう意味で、お客はキングであり、絶対の権力を持っている。
それをわきまえないで、お客を馬鹿にすると、
その企業は世の中から取り残される。


(人間を動かすスパナ!)

お客がキングだからと言って、鴨の羽音におびえる式では困る。
うちで新しい耕うん機をつくった。
私もオートバイの技術を生かして新しいものを作ろうと大いに張り切った。
ところが、マニア向けのレーサーと同じように、
ハンドルの締めを自分で調節するように設計しようという案が出た。
そこで私は反対をした。
マニアは、自分でいじくりまわしてアイデアを入れるようになっていないと
承知しないが、
農業用の実用機械までそんなだったとしたら使う方はたまらないはず、
もっと用途を考えろと言った。
とにかく哲学のないところに技術屋もなければ企業もない。
機械を動かすには、技術が必要だし、人間を動かすスパナは哲学である。


(人間の気分は恐ろしい!)

人間の気分というものは恐ろしいものだ。
常に深く観察していないと大変なことになる。
一時期つかんだ気でいて安心していると、はねっ返りが恐ろしい。
マス・プロということ自体が、そういう普段の人間観察の必要性の
上に立っている。
今は、買ってくれているが、これから二年、三年先も同じように
買ってくれるか、ということを有機的につかまえていないと、
莫大な投資をやってマス・プロをやることはできない。
人間の思想というものは、刻々に変わるものである。
二年、三年たって、果たして自分のところの製品が、
それに耐えられるかどうかを、根本的に把握しないで、
いい加減な市場調査なんかやったって気安めに過ぎない。


(市場調査は補足手段!)

ひとつの事を調べるにしても
それにからまるファクターの裏の裏まで見透かしてやらないと
とんでもない結論が出てくる。
それをひとつの参考意見としてみるならいいが、
市場調査だけを首っ引きで見なければならないような経営者なら
市場調査はやらない方がいい。
市場調査をやるなら、モノゴトを静止的ではなく流動的に捉えられる人
すべてのファクターを現実の生々しいぬくもりを持たせたまま抽象化できる
能力のある人がやるべきだし、
それを見る経営者は、それ以上に能力のある人でなければ
数字にのまれること請け合いである。
また、そこまで目の高い経営者なら、
市場調査をやる前に一つの方向をつかんでいるとも言える。
だから私は、市場調査を過去の足跡を確かめること
自分の意見を大勢の社員に納得させる場合の手段として
使うこと以外には考えていない。
別な言い方でいうと、市場調査は私のイメージを補足して
豊富化する手段ではあるが、私の方針の決定事項ではありえないと
いう事である。


(固定客は古びる!)

最近、何十年来の専門メーカーとか名門とかいう会社が
新しい風にあおられて、自分の方向を決めかねている風だが
これは何も日本だけの話ではない。
私は、そういう会社の苦悩ぶりを見ていると、
アメリカのパッカードのことが頭に浮かぶ。
パッカードは、ひところ名車といわれ、現実に相当売れていた。
そこですっかり自信をつけちゃって、うちの車には多くの固定客が
ついているんだという名門意識にとらわれて、モデルチェンジをしないで
歳月を送った。
結局最後は売れなくなって、さすがの名門もつぶれてしまった。
どうしてこういうことになったのだろうか!
それは、固定客とかマニアというものは、時間が経つと
古くなって、やがて死んでいくものだということをつかめなかったことである。
年老いたマニアに替わって新しい若い層がどんどんでてくるという
万物流転の法則がある限り、去って行く老兵だけでなく
バリバリの現役をもアピールするだけの用意がなくてはならない。


(設計の優先基準!)

私は設計するときの基準を、こういうふうに考えている。
まず優先するのは、その車を一番長く使う人、つまりお客さんである。
いまさらいうまでもないが、お客さんが満足するように考えない設計は無意味だ。その次に、サービスする人の立場を尊重してやらなければならない。
その次に作る人の立場を考えるべきだ。
いちばん犠牲になるのが設計者自身である。
私はこれでなくてはいい車はできないと思う。
ところが、さっきのオースチンをみると、お客さんにもあんまりサービスしていない。
オイルをいれるタンクも、ずいぶん骨を折らなければならないように
できている。
それから整備する人にとっても、エンジンをあんな位置に寝かしたんじゃ
とてもじゃないが整備しにくい。
いちばん楽をしているのが設計者である。
苦しまぎれにああなったとしたら、主観的には苦しんでいるが
客観的には楽をしているとしか思えない設計である。


(モデルチェンジは素早く!)

モデルチェンジすればよいということになるが、
これがまた生やさしいものではない。
いままで十何年間もモデルチェンジしていない工場が、
モデルチェンジするのだから、これは新しい会社を創る以上の大きな努力が
いるはずである。
よそがモデルチェンジするのだから、うちにもできるだろうなんて
軽い気持ちでやったらとんでもないことになる。
うちみたいに設計変更やモデルチェンジの好きなところでも、
一回のモデルチェンジに社運をかけているのだから想像に余りある。
当社が設計変更が多いとこぼすムキがあるが、
下請けや販売店がアゴをだすほど、どんどん変更できる工場は、
いい工場であるということを忘れないでほしい。
悪い所を素早く見つけて、ぱっと取り替えることは、
工場の指揮系統やあらゆる面での管理がよほどすっきりしていないとできるものではない。モデルチェンジをしたいと思っても、
工場の中に前の型の部品が残っていたり、
販売店に売れ残りがあったりしたら絶対にうまくいかない。


(遅れた値下げの哀れさ!)

どこでも売れなくなってから、モデルチェンジを考えるようだが
それではひどい目に遭う。
いろいろな矛盾が重なり合ってニッチもサッチも行かなくなる。
だから、うちはいつでも売れているときにモデルチェンジをやる。
その時にこそモデルチェンジは、一層の売り上げを保証することになる。
たとえば、値下げにしても機先を制した方が勝ちである。
生産合理化とか、月産〇万台突破記念とか自由な名目をつけて値下げできるからである。
後れを取った方は、ライバルが値下げしたから下げますとは言えないから
いろいろ苦しまぎれの名目をつけて値下げする以外に手はない。
それではどうしても不利になる。
メーカーがどんなに名目をつけて値下げしても、お客はそれを信用しないという事である。
ライバルが値下げしたから仕方なく値下げしたんだろうという事になる。
そうなると、値下げしてもあまり品物が売れない。
そのときの哀れさったら言葉で言い尽くせるものではない。


(スピードが何よりのサービス!)

昭和三十四年の一週間のアメリカ飛び歩き旅行は学ぶところが多かった。
いちばんの感想は、プロペラ機とジェット機とのスピードの差である。
プロペラ機で米国から二十四時間、ジェット機だと十五時間でついてしまう。
この差は恐ろしい。
結論を言えば、スピードの前には、どんなサービスも問題にならないという事である。
つまり、スピードそのものが何よりのサービスであり、
少し大げさに言えばスピードは、人間尊重であるということだ。
ロスアンゼルスで、ジェット機に乗って、帰ろうと思って、
パン・アメリカンに行ったら、お客が一杯で三時間も待たされた。
ところがJALの方に行くと客がほとんどいない。
これにはスッカリ考えさせられた。
パン・アメリカンは、あまりサービスのいい会社ではなかった。
JALの方は、スチュワーデスに着物を着せて、日本女性のしとやかなサービスを振りで人気があった。
ところがパン・アメリカンがジェット機を使い始めたら”速い”ということの
ためにJALのスペシャル・サービスもたちまち吹っ飛んでしまった。


(ニコニコ、ノロノロやられても!)

私たちは、病気になると、すぐ医者にかかる。
そして、痛い目にあっても手術をしたり、イヤな薬もせっせと飲む。
それはなぜかといえば、時間を尊重するという事である。
つまり、自分の生命を一分一秒延ばしたい願望の表れにほか
ならぬ。
生命イコール時間といってもいいくらいだ。
だから人間がスピードを求めるのも、やっぱり自分の生命を大切にする
本能の切実な表れという事になる。
とにかく飛行機に乗るのは、用事を早く果たすのが目的であって、
飛行機に長く乗るのが目的ではないのだから、
ノロノロ飛ぶ飛行機でどんなにニコニコサービスをやられても
ありがたくないのは当然である。
これで、いまアメリカで計画しているマッハ3ぐらいの旅客機が出現したら
どういう事になるか?考えただけでも恐ろしい。
太平洋をひとまたぎするするのに二時間か三時間ですむとなると
メシなんか出さなくてもいいのだから、
サービス料金なんか全然いらないという事になる。
”速い”という事の前にあらゆるサービスがゼロになる時代はもう間もなく
やってきそうである。







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